”聞く”ことは、”礼儀正しく待つ”ことではない。
ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。
人は、”理解してもらえていない”と感じると孤独を感じる
昨今、”孤独・孤立”が、健康や人生の充足度に悪い影響を与えるということが分かってきています。
孤独が1日14本の喫煙によりも健康に悪い影響を及ぼすともいわれ、公衆衛生の危機とも捉えられています。
2018年にはイギリスで孤独問題担当大臣が設置され、2021年には日本でも孤独孤立対策担当大臣が設置されるようになりました。
周囲に多くの人がいれば孤独ではないのか、というとそれも異なります。
周囲に多くの人がいたとしても、そこに”つながり”が感じられなければ、孤独を感じるものです。
”つながりが感じられない”とは、自分の考えや感情を自由に深く話す相手がいないということ、また、聞かせてくれる相手もいないということ、と考えることができます。
PCやスマホが普及して便利になり、要点だけが切り抜かれたものに慣れてしまったり、なんとなく嫌と感じられるメッセージはスルーしたり削除したりできるなかで、いつしか自分のありのままを自由に話すことそのものも憚られてそれがマナーとなり、思ったままを自由に話せる相手もまたいなくなりつつあるといえます。
相手とリアルに向かい合い、相手の声を自分の体や心で共鳴するようなシーンは確実に減っていると考えられ、相手と自分の感情を深く共有し、”つながり”を感じられる場面は少なくなっていると考えられます。
”聞くこと”は、”礼儀正しく待つこと”ではない
相手の話を聞くことで、相手のことを深く理解し、自身の感情もまた揺り動かされることになります。
これには、相手の話を深く聞くことが必要です。
しかしながら、昨今、それは難しいことでもあります。
人は誰しも自分の話をしたいものです。
ゆえに、”聞くこと”が、自分の話をするために”礼儀正しく待つこと”と捉えてしまっていることが多いと考えられます。
当然のことながら、”聞くこと”は、自分の話をするために”礼儀正しく待つこと”ではなく、心を開いて自分の感情で受け止めつつじっくりと相手の話を聞くことであると考えられ、”待ち時間”などではないのです。
聞くことは、意外と難しく、煩わしい
リアルで聞くというのは、以外と難しく、煩わしいものです。
思うままに話そうとするとシナリオのようにきれいな順序では話せないかもしれませんし、一見、要点の見えない話が堂々巡りするようなときもあります。
また、聞く側にとっても、それは自分の話をするための待ち時間などでは決してないのです。
”聞きなさい”と言われる話については、そもそもよいイメージではないものです。
怒られるときなどで、とても一方的で、到底、対話にならないようなものだからです。
このように、意外と”聞く”ということは難しいものですし、手間もかかる煩わしいようなものでもあると考えられ、トレーニングが必要なものであると考えられます。