”聞こえる”は受動的、”聴く”は能動的。
ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。
聴く・聴いてもらう、により安心する
人は誰しも「自分の考え・感情・意図を持った一人の人間として理解されて、価値あるものとして大切にされること」を切望しているもので、そのような見方をしてみると、世の中にはそのような渇望に溢れていることが分かります。
その欲求の充足は、唯一、他人が自分の話を親身に聴いてくれ、自分の頭と心の中で何が起きているかを理解しようとしてくれること、自分の変化を気にかけようとしてくれていることによってのみ可能となります。
自分の変化(よかったこと、よくなかったこと)を誰にも聞いてもらえない・知ってもらえない・受け入れてもらえないとき、人は孤独感を感じ、強いストレスを感じるものです。
つまり、人は、聴いてもらうことにより充足され、安心することができるということになります。
自分の話を聴いてもらうには、一般的には、自分自身が相手の話を聴くということも必要です。
一方的に聴かずして話す、という人間関係はありえないものですし、一方的に話す関係というのは成り立ち得ないものです。
ダメな聞き手の行動
”聞こえる”は受動的、”聴く”は能動的、と考えられます。
”聴く”とはきわめて能動的であり、かつ、”自分の話をするための待ち時間”ではないものです。
例えば、以下のような行動は聞き手としてダメな例と考えられています。
- 話を遮る
- 言われた言葉に対して、筋の通らない反応・曖昧な反応をする(声色・相槌・相槌のタイミング・目など)
- 携帯電話・腕時計・部屋の他の場所など、別のことを気にする
- 落ち着きがない(テーブルを叩く、ペンをカチカチしたり回したりするなど)
特に人の聴覚は、生まれる前の妊娠段階から機能しているものであり、声の微妙な違い・同調か不和であるかなどに非常に敏感なものです。
他人の話を聴けない、とは
他人の話を聴けない人とは、一般的に、以下のようなタイプがあると考えられています。
特に、生まれて最初の人間関係ともいえる、親との関係性が強く影響しているといわれています。
- 不安型:他人からの注目や好意を失うのが怖く、おおげさな態度を取ったり、自慢ばかりになったり、過干渉になったりする
- 回避型:失望したり圧倒されたりするのが怖く、相手との距離が近くなると壁を作ったりする
相手が自分を体験すること
聴くことに定型的なチェックリストがあるわけではなく、根本的には、心と考え方の習慣の問題であると考えられます。
「聴く」とは、相手の頭と心の中で何が起きているかを理解しようとすること、相手を気にかけているということを行動で示すこと、とされます。
相手が何者であって何をしているかに関心を持ち、相手の考え・感情・意図を持ったひとりの人として理解し、価値あるものとして大切にすること。
相手にとっては、「相手が自分を体験」することにより、理解が深まり、やがては一体化に近い状況となり、自分ひとりでは見つけられなかった発見をすることができるようになり、安心感や充足感が高まることになります。