人の感情はデータを超えてくるもので、その超越する部分というのは、人が丹念に聴くことによってのみ窺い知ることができるものです。
ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。
データは、データがある場所しか照らさない
データというものは、早く・安くで手に入るものです。
しかしながら、そのデータが示す”本質”の部分を明らかにしてはくれないものです。
例えば、Webアンケートによる”チェックボックスの曖昧な選択”に対して、実際にその真意を知るには、直接聴くしかないということです。
また、アルゴリズムとは、あくまで可能な限り正確な推測を目指すものであって、それらを十分に理解して深堀りし、それらのデータがどのような意味を持つのかといった本質に迫るということはできません。
データを多く集めることができる時代であっても、理解をするには、人の話に耳を傾ける必要があります。
どれほどデータを集めたとしても、それらのデータのなかの情報がどれくらい使えるかということは、そのデータがどのように集められ、どのように解釈されるかによってきます。
人の感情・習慣・同期というものは予測を超えてくるものです。
1人では見られなかったものが、2人なら見られる
情報の”価値”は、聴く人がいかにニュートラルな姿勢で相手の話を聞くことができたか、中立的に洞察力をもって出来事や感情を引き出すことができたかによって異なってきます。
つまり、「とにかく聴く」ということが重要になってくるということです。
しかしながら、人の話を聴く・耳を傾けるということは、実はとても難しいことです。
人間、どうしてもバイアスがあり、自分の意見を挟み込みたくなるためです。
しかしながら、本当に相手の見ているものに迫りたければ、これらの自分バイアスを排除した姿勢で聴かなければならないと考えられます。
- 関心を持って聴く
- 受容的な態度で聴く
- 目が泳がない・指はそわそわしない・腕や足を組まない
- 次の予定を感じさせない
- 嬉々として聴く
- 体が常にリラックスしていて、オープンな姿勢で聴く
- ”自分のことはどうでもよい”と考え、空のコップをイメージし、自分のコップを満たして欲しいという姿勢で聴く
このような姿勢によって、いかに個人個人の特有の動機・傾向・潜在的な欲求を引き出すことができたかどうかが重要になってくると考えられます。
1人だけではモヤモヤのまま曖昧に過ぎていくことでも、他人に話したり他人と対話したりすることにより、その形を見つけることができるものです。
これらによってつまびらかにされた情報によってこそ、データで出てきた数字を説明し、その数字では知ることができない理由を明らかにすることができると考えられます。
「なぜ?」という言葉は、人を身構えさせる
「なぜ?」という言葉には、人を”責めている”というニュアンスを感じさせます。
投げかけた本人にはその気がなくとも、威圧的に聞こえ、人を身構えさせてしまうことにもなります。
そのため、聴く際には、可能な限り”なぜ?”という聞き方はせずに、いかに相手のなかの本音やふとした繊細な感性を聴くことができるかがポイントになると考えられます。