チョコレートは、日本の歴史上、どのようのに広まったのか。
株式会社明治チョコレート検定委員会監修「チョコレート検定 公式テキスト 2024年版」(Gakken)を参考にして。
目次
チョコレートの日本史の年表
STEP
明治時代
1873年 | 米欧視察派遣特命全権大使の岩倉具視らが、フランスでチョコレート工場を見学する。 |
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1878年 | 東京・両国の米津凮月堂が、日本で初めてチョコレートを加工製造販売する。 |
1899年 | 森永太一郎が、森永西洋菓子製造所(現:森永製菓株式会社)を創業し、チョコレートクリームの製造販売を開始する。 |
1901年 | 森永、チョコレートクリームが宮内省御料となる。 |
1903年 | 森永のチョコレートクリームが、第5回内国勧業博覧会で3等賞を受賞する。 |
1904年 | 森永のチョコレートクリームの広告が報知新聞に掲載され、日本初の国産チョコレートの新聞広告となる。 |
1909年 | 森永、板チョコレート1/4ポンド型を製造販売し、日本初の板チョコレート生産となる。 |
1910年 | 藤井林右衛門、不二家洋菓子舗(現:株式会社不二家)を創業する。 |
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大正時代
1912年 | 森永、チョコレートの輸出を開始する(現在の中国・南洋の各地)。 |
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1914年 | 大正天皇、東京大正博覧会で森永出品ののチョコレート菓子を購入する。 |
1915年 | 森永太一郎、視察のため渡米し、ハーシーチョコレート社を訪問する。 |
1916年 | 東京菓子株式会社(現:明治製菓株式会社の前身)と大正製菓(親会社:明治製糖株式会社)が創立・合併し、明治製菓株式会社へと社名変更する。 |
1918年 | 明治、チョコレートの販売を開始。 森永、日本初の近代チョコレート生産設備を整え、カカオ豆からの一貫製造を開始、日本初の国産ミルクチョコレートを発売。 |
1919年 | 森永、カカオ豆からココアパウダーを製造し、日本初の飲料用ココアを発売。 |
1921年 | 江崎利一、大阪で合名会社江崎商店(現:江崎グリコ株式会社)を設立。 |
1923年 | 神戸で、ロシア人マカロフ・ゴンチャロフが、チョコレートの製造販売を開始。 |
1926年 | 明治、川崎工場でチョコレートの一貫製造を開始し、「明治ミルクチョコレート」を発売。 |
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昭和時代
1929年 | 輸入関税が撤廃され、各社、板チョコレートを増量・値下げし、一般消費者へ拡大。 |
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1931年 | 神戸モロゾフ製菓株式会社(現:モロゾフ株式会社)が、チョコレートショップとして設立される。 |
1932年 | 神戸で合資会社エム・ゴンチャロフ商会(現:ゴンチャロフ製菓株式会社)が設立される。 |
1933年 | 明治が、中国各地・東南アジアに視点島を設置し、海外の販売網を広げる。 |
1935年 | 明治、チョコレート進物缶、ティーチョコレート、アソートチョコ、ロールミルクチョコレート、パイルチョコレートなど、多くの新製品を開発・販売する。 |
1937年 | 輸出入品等臨時措置法が公布され、カカオ豆の自由輸入ができなくなる。 |
1939年 | ココア豆加工業会と日本チョコレート協会が、チョコレート原料配給統制組合を設立する。 |
1941年 | ココア豆代用品研究会が設置される。 |
1945年 | 明治川崎工場、森永鶴見工場などが空襲で被災。 森永、米国赤十字社の管理工場として操業開始する。 |
1948年 | 明治、川崎工場の復旧工事完了。 |
1950年 | カカオ豆が雑口輸入制で認可され、チョコレート生産が再開される。 |
1957年 | カカオ豆からの一貫製造設備を有する工場が20に達する。 |
1960年 | カカオ豆・ココアパウダーの輸入自由化。 |
1971年 | チョコレートの規格基準を定めた「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」が規定される。 |
明治時代
- 日本のチョコレートは、1797年、長崎・丸山町の「寄合町諸事書上控帳」にある遊女の貰い品目録「しょくらあと六つ」が確認できる最初の記録で、出島のオランダ商人から遊女がもらったものと考えられている。
- 1868年、パリ万国博覧会に幕府代表として出席した徳川昭武の記録にもココアが確認される。
- 1873年、岩倉具視が欧米視察の際、フランスにてチョコレート工場を見学した記録(特命全権大使米欧回覧実記)が確認される。
- 1878年、東京・両国の米津凮月堂(現:株式会社東京凮月堂)が、日本初のチョコレート加工製造販売を開始する。
※原料チョコレートを輸入し、加工製造するというもの。 - 漢字:「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」
- 当初はバタ臭い(乳臭い)などと受け止められ、高価だったこともあり、日本人にはあまり受け入れられず、居留外国人や特権階級のみのものとされていた。
- 1899年、アメリカから帰国した森永太一郎が、森永西洋菓子製造所(現:森永製菓株式会社)を創業、キャラメル・マシュマロとともにチョコレートを製造販売を開始。
- 1903年、森永が、第5回内国勧業博覧会でチョコレートクリームが3等賞を受ける。
- 1909年、森永が、日本初の板チョコレートの生産開始。
- 1910年、芥河洋造がアメリカでチョコレート製造技術を習得し、帰国後、日本堂芥河商店としてチョコレート菓子の製造を開始。
- 高価なこともあり、まだまだ一般には知れ渡っておらず、大衆には行き渡っていない時期。
大正時代
- 1912年、森永がチョコレートの輸出業務開始、チョコレートクリームを中国・南洋へ。
- 1914年、日本国内が第一次世界大戦後に好景気になり、また、東洋・南洋の市場が商圏に入ってきたことから、消費者への拡大が始まる。
- 1916年、東京菓子株式会社、大正製菓株式会社が合併、近代的な製菓事業に着手。
※明治製糖(現:明治製菓)の創始者である相馬半治が、砂糖加工業としての製菓・煉乳事業の経営を重要視 - 1917年、明治がアメリカ・ボストンのチョコレート工場へ社員を派遣し、技術研究
(ハーシーチョコレート会社などへ視察)
昭和時代
- 1918年~1937年、チョコレート黄金期(生産体制と新製品の発売など)。
- 1937年、輸入制限令がしかれ、日中戦争の悪化もあり、カカオ豆の自由輸入が不可能となる。
- 1940年、森永や明治はアジア地域に販売店を開設するも、正規ルートによるカカオ豆輸入は断絶する。
- 戦時には、カカオ豆が配給制に。
※ココアバターが解熱剤・座薬に利用され、軍用品として居眠り防止食・振気力に利用される程度。 - 1940~1950年、代用品を用いたチョコレートが開発された。
※砂糖の代わりにグルコース
※カカオ豆の代わりに、百合根、チューリップ球根、オクラ、チコリ、芋類、小豆など
※ココアバターの代わりに、大豆油、ヤブニッケイ油
※香料の代わりに、バニラ - 1945年、終戦後にアメリカ兵がチョコレートを持ち込む。
- 1949年、チョコレート対策協議会が設置される。
- 1950年、雑口輸入制でカカオ豆が許可される。
- 1951年以降、本格的な復興期となり、チョコレート製造が軌道に乗り始める。明治の川崎工場の設備が復旧し(成型機1連、エンローバー1点から)、操業再開。
- 1953年、明治は機械を増設し、高速自動包装機などの輸入機械が追加、新たなチョコレート製造設備も導入。
- 1952年、森永は、最新の高性能製造機械をヨーロッパから輸入し、塚口工場を全面改装して設備増強を図る。
- 1952年、カカオ豆物品税が無税となる。同時に、砂糖の自由販売とカカオ豆輸入自由化により、チョコレート製造が本格化してゆく。
- 1960年、チョコレート消費が急増する。
- 輸入原料が高価であったため。ココアバターの代用油脂。品質のよくない代替原料を多用した安いものも多く出回る。
- アーモンド入り・洋酒入りなど、消費者の嗜好に合わせた多様なものが登場する。
- ファンシー化が進み、ユニークなネーミング・形のものが人気を集める。
- 1980年、エアイン化、生クリーム入りタイプが実現する。