話すペースと考えるペースは異なるものです。
ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。
話すペース、考えるペース
「話すペース」と「考えるペース」は異なるといわれています。
もっというと、話すペースよりも考えるペースのほうが速いといわれています。
これはつまり、話し手が話している間、聞き手は縦横無尽に考えを巡らせており、結果として、話し手の話を聞けていないということがしょっちゅう起こっているということを意味しています。
相手の話すペース、自分の考えるペース
では、話し手が話している間、聞き手はどのようなことを考えてしまっているか。
「次にどんなことを話そうか」「話し手の話に対し、どんな面白い気の利いたことが言えるか」を考えているといわれています。
これは、IQが高ければよき聞き手になるかということそのようなものではなく(IQが高い人ほど色々なことを考えてしまっている)、また、内気だからよき聞き手になるというとそのようなものではない(内気な人ほど色々なことを考えてしまっている。)。
相手の話に集中する
話し手の話や仕草(言語表現・非言語表現)に集中していなければいないほど、相手への反応は的外れないものになるものですし、できるだけ余計なことは考えずに相手の話に集中し、その話の「背後の意味」「動機」「意図」を汲むことの把握に尽力したほうがよいと考えられます。
ただ、できるだけ余計なことを考えずにといっても、なかなか難しいこともあります。
例えば、”次に何を話そうか”と考えてしまうときです。
ただ、信頼関係にとって必要なのは、”うまい言葉”でもなく、”間髪入れない言葉”でもないと考えられます。
たとえ無骨な言葉であっても、考えることに時間を要することで間が空いても、それが相手のためであればおのずと真意は伝わりますし、決して不自然なものにはならないと考えられます。