「女の都」の由来

長崎に来てびっくりした地名のひとつに「女の都」がありました。

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長崎にはユニークな地名がいくつかある

長崎に来て7年ほどになりますが、ユニークな地名が結構あります。

例えば、ハウステンボス町、ダイヤランド町、エミネント葉山町。

しかし、これらはおおむね由来が想像できます(エミネント葉山はちょっと分からないのですが、少なくとも歴史はない気がしてます。)。

あるいは、西海市のお隣に、長崎市西海町という地名があり、最初は混乱しました。。

中心部にも、五島町という地名があります(五島市が別にある。)。

”大工”と名のつく地名もいくつかあり、かつ、集中して所在しているわけではないので、いまいち位置関係が分からずにいます。
(新大工町、出来大工町、船大工町など)

アクセントも自分のイメージと違っていたりします。田上町・矢上町などは、来た当初は最初の”た”・”や”にアクセントが来るのだと勝手に思い込んでいましたが、後のほうにアクセントが来るのだとか。

あるいは、”木場”を私はいまだに「きば」と読んでしまいますが(昔、新木場行の電車によく乗っていたので、、)、正しくは「こば」です。

インパクトある地名「女の都」

一番インパクトのある地名として「女の都」です。

車を運転していたときに、看板やバスの行き先表示などで、最初にこの地名を見たときは面食らいました。

ただ、この地名はハウステンボス町などのように歴史の新しいものではなく、かなり昔からあるものとのことです。

読み方は「めのと」です。

由来→諸説あり

なぜ地名が「女の都」になったのか、由来を調べるのですが、諸説あるようです。

平家落人の生き残り説

壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が逃げのびて集住したものの、やがて源氏の残党狩りに見つかり、男性のみが処刑され、女性だけが残ったから、という説。

ちなみに隣町は「川平町」と、”平”が入っていたりします。
※ただ、長崎市のなかで平らな土地が珍しいため、そのような場所には”平”という地名をつける傾向があるという説もあり。

乳母(→聖母マリア)説

「女の都」は、かつては「乳母」という字だったという説があります。

近くの本原地区はキリシタンへの迫害を逃れてきた平戸松浦家の重臣パウロ原田善左衛門が家族とともに移り住んだといわれており、隠れキリシタンの多い場所といわれています。

女の都地区は日当たりの良い南向きの傾斜地にあり、かつては森林で、あるいは集会なども行われていたといわれており、聖母マリア像がある土地であることから、「乳母」という地名と呼ばれるようになったという説もあるようです。

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