「自分の話」の位置付けを整理しておく

相手の話を聞いていると「自分の話」をしたくなるものですが、その位置付けを整理しておくとよさそうです。

古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。

目次

「自分の話」をしたくなる

他人の話を聞いていると、つい「自分の話」をしたくなります。

古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)によると、”自分もあなたと同じ境遇にいる・いた”という話をすることで、相手との”つながり感”をもってもらいたいということが動機なのかも、とのことでした。

確かに、そのような意図をもって「自分の話」をすることがありそうです。

「自分の話」の位置付け違いによるギャップ

ただ、聞き手が「自分の話」に対して持たせたいと思っている”意図”と、話し手側がその話を受け取る”効果”についてはギャップが出てくるものです。

相手に”つながり感”をもってもらいたいという意図で「自分の話」をしたとしても、相手は”つながり感”を持つこともあれば、持てないこともあります。

話される側で考えてみると、思い当たるところがあります。

相手に「自分の話」をされたとして、その際に、相手に対して親近感を持って聞くことができるときと、そうでないときとがあります。

どこに違いが出るかという点について、古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)においては、その「自分の話」以前に、”相手を理解しようとしているか”・”相手の気持ちを相手の身になって理解しようとしているか”という点だと指摘されています。

確かに、いくら「自分の話」をされたとしても、そもそも相手が自分の話を理解しようとしてくれていなければ、相手への親近感や感謝の気持ちを持つには至りません。

「相手の理解」が先、「自分の話」は補助的

上記のとおり、「自分の話(=自分の経験談)」は、発し手と受け手との間で、位置付けの違いから、とてもギャップが生じやすいと理解しておく必要がありそうです。

事例ストーリーはとても迫力のあるものですが、「相手の理解」なく用いても、相手に効果をもたらすことはできないといえます。

相手の話をよく聞き、相手を理解しようとして、はじめて事例ストーリーは相手の役に立つものとなるといえそうです。

あくまで「自分の話」は補助的な役割なのであって「相手の理解」こそが先でありメイン「自分の話」というものは相手に参考にしてもらえるかもしれない事例のひとつに過ぎないと整理しておくと、こちら側もギャップにストレスを感じることがないと思われます。

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