質問が婉曲表現になっていることもある

質問が、相手の気持ちの婉曲表現になっていることもあります。

古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。

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質問には2種類ある

「質問」には2種類あると考えておいた方がよさそうです。

1つは、「答えを得るための純粋なる質問」です。

もう1つは、「答えを求めていない質問」です。つまり、答えを求めていないのに質問するという場合です。 

言葉にできない気持ちの婉曲表現である場合

「答えを求められていない質問」になぜなっているかという点を考えてみたいところです。

そのなかで、”言葉にできない気持ち”の婉曲的な表現という場合があります。

人にはなかなか他人にストレートに言えない気持ちというものがあり、例えば、不安・怖れといったもので、これらが作用している場合には上記のような状況になりがちです。

不安・怖れを他人にそのまま表現することに抵抗がある場合、それが”質問”という形で表れるというものです。

質問の奥にある気持ちを受け止める

上記のような場合、質問そのものの答えを必ずしも求めているわけではありません。

これを理解していないと、答えても答えても相手の疑問の根源が解決されないことから、同種の質問が繰り返され、結果的に安易に聞き手の苛立ちへと繋がることにもなりがちです。

このような場合、質問の奥にどのような気持ちがあるかを注意深く洞察し、その気持ち(特に不安や怖れ)を受け止めるような言葉を返すことによってはじめて話し手との関係性が成立するということになります。

洞察には限界もあり、そのような場合には、なぜそれが気になるのですか?」「なぜそう思われるのですか?」「なぜそうお考えになったのですか?」「どのような思いからそう質問されたのですか?などと尋ねてみることで、ふと糸がほぐれることもあります。

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