納得して生きるために必要な「覚悟」or「断念」

自分が納得が行くように生きていくには、ときには「覚悟」か「断念」のいずれかが必要とされるときがあるものです。

河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。

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断念して生きること

自分の”幸せ”を優先するために、自分の本来やりたいことを「断念」する。

といったことはよくあります。

今いる位置の延長で見える世界の方が冒険もなくイメージもしやすいことから、その延長の外になる何らかを断念する、というものです。

あるいは、他人の”幸せ”を優先するために、自分の本来やりたいことを「断念」する、といったこともあるでしょう。

他人の幸せのために自分を犠牲にした、といった話はときには美談になるほどです。

やりたいことを貫いて生きること

一方、自分のやりたいと思ったことを貫くという生き方もあります。

断念せずに、自分で”これでよかったのだ”と言える人生です。

しかしこれには前述と相反する部分もあることから、逆に、ときには他人の”幸せ”を犠牲にすることもある、という「覚悟」が必要なときもあります。

その「覚悟」が曖昧なままで自分のやりたいことをやっても、どこまで行っても幸せが手に入らないと感じてしまうものです。

正しい答えがない

他人の”幸せ”のために自分のやりたいことを断念したのだ、という話は美談になるときもありますが、なかには、自分のやりたいことを貫く人生を生きることが怖いので他人の”幸せ”という看板を借りている場合もあり得ます。

「断念」がよいのか、「覚悟」がよいのか、ということに、無論、正しい答えはありません。

やはり、自分の器量を見極めながら、自分の生き方を創り上げていくよりほかないのだろうと思います。

祈念坂(長崎市)

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