意味を持って、あえて物事を制限しています。「時間」を制限する意味。
河合隼雄「カウンセリング教室」(創元社)を読んで学んだこと。
何かには集中するには「制限」が必要
人間、何らかのルーティンを持っているものです。
本来、自由でありたいものなのですが、何かと自由が多いにもかかわらず、あえて、人間はルーティンを持ちます。
何かに対して自由を表現するには、それだけ、そこには「型(=ルーティン、制限)」が必要、ということなのだろうと思います。
型があるゆえに、何かに集中することができ、そこから独創的なものが生まれてくる、という原理のようなものがあるのだろうと思います。
その制限のひとつは、「時間」だと思います。
「重要だが緊急でないこと」に向き合う
お客様のためにということで、寝食を忘れて時間を忘れる、ということも必要な場合もあります。
しかし、短期的に成果を挙げても、ずっとそういった状態を長期的に保つことは到底できるものではありません。
個人的に考えるに、経営数字に当てはめて経営状態を知るということは、「重要だが緊急でないこと」であることが多いものです(もちろん緊急な場合もありますが、しょっちゅうではないはずです。)。
その「重要だが緊急でないこと」に向き合う時間をお客様と共有するということは、お客様にとっては、ある意味では、非日常ともいえ、そういった機会にともに集中していくためにも、やはりまずは「時間」という観点からの「制限」が必要です。
「制限」をかけるからこそ、「集中」することができ、長い目でみて、長期的に「継続」していくことができるからです。
誰よりも長い目で見て付き合っていくために
経営者である限り、経営数字と向き合うということは、たとえそれが良いときであっても悪いときであっても、長期的について回るものです。
私が思うに、そういった”向き合う機会”に対して、ともに「集中」していくために、誰よりも長い目で見てお付き合いしていくために、時間の制限と向き合う必要を感じています。