チョコレートは、世界の歴史上、どのようのに広まったのか。
株式会社明治チョコレート検定委員会監修「チョコレート検定 公式テキスト 2024年版」(Gakken)を参考にして。
目次
チョコレートの世界史の年表
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メソアメリカ時代(紀元前3300年頃~1500年頃)
紀元前 3300年頃 | エクアドルにて、食用として摂取していたことが認められる。 |
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紀元前 2000年頃 | メソアメリカにてカカオ栽培がスタート。 オルメカ文明でのカカオ利用が認められる。 |
400年頃 | マヤ文明でチョコレートの飲用が認められる。 |
1000年頃 | トルテカ族がカカオ産地をめぐって争っていたことが認められる。 |
1300年頃 | アステカ王国では、カカオ産地がカカオ豆で納税していたことが認められる。 |
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大航海時代(1500年頃~1600年頃)
1502年 | コロンブスが、マヤ人の積み荷にカカオがあることを発見する。 |
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1521年 | コルテスによりアステカ帝国滅亡。 |
1528年 | コルテスがスペイン王カルロス1世にカカオを献上。 |
1534年 | スペインのピエドラ修道院にて、ヨーロッパ初のカカオの調理が行われる。 |
1544年 | マヤ貴族が、スペインのフェリペ皇太子にカカオを贈呈。 ※初めてスペイン公式記録に載る。 |
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ヨーロッパでの広がり(1600年頃~1800年頃)
~1600年前半 | スペイン王室でチョコレートを飲む習慣が定着(外国への持ち出し禁止)。 |
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1580年 | スペインのポルトガル併合とともに、ポルトガル上流階級にチョコレート普及。 |
1606年 | イタリア商人アントニオ・カルレッティが、カカオ栽培~飲料製造法までを記述し、トスカナ大公に献上する。 |
1615年 | スペイン王女アンヌがルイ13世と結婚し、フランス宮廷に飲用カカオを持ち込み、宮廷内にココアが普及するきっかけとなる。 |
1650年 | コーヒー・ハウスがイギリスのオックスフォードに開店、1652年にはロンドンにもでき、盛況となる。 |
1657年 | イギリスのパブリックアドバイザー紙にココア販売店の広告が載り、1659年には週刊誌にも掲載される。 |
1659年 | ルイ14世が政商シャリューにフランス国内におけるチョコレートの製造販売の独占権を与える。 |
1660年 | ルイ14世とスペイン王女マリア・テレサが結婚、宮廷にチョコレートが広まる。 |
1662年 | イタリア・ローマのカトリックの間で、断食中におけるココア摂取を巡っての議論が高まる。 |
1693年 | フランスでカカオ取引やチョコレート販売が自由化される。チョコレート価格が下がることで、市民層にも普及する。 |
1697年 | スイス・チューリッヒ市長のエッシャーが、ベルギー・ブリュッセルからチョコレートを持ち込む。 |
1745年 | スイス人画家リオタールが、オーストリアで、「チョコレートガール」を描く。 |
1765年 | アイルランド移民ハノンが、アメリカ・マサチューセッツ州でカカオの磨砕を始める。アメリカ各地でチョコレート製造が盛んになっていく。 |
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四大発明期(1800年頃~1900年頃)
1819年 | フランソワ・カイエが、スイス初のチョコレート工場を開設する。 |
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1828年 | 【四大発明】オランダ人のバンホーテン親子が、チョコレートパウダー(ココア)の製法を発明し、特許を取得。 |
1847年 | 【四大発明】イギリス人ジョセフ・フライが、イーティングチョコレートを発明する。 |
1853年 | イギリス人ジョン・キャドバリーが、ヴィクトリア女王にチョコレートを納める王室御用達となる。 |
1857年 | ベルギーのチョコレートブランド「ノイハウス」が誕生。 ※1912年には創業者の孫ジャン・ノイハウスJr.がボンボンショコラを作る。 |
1866年 | キャドバリーが、バンホーテンの機械をモデルとして粉末ココアを製造販売する。 スイスにて、アメリカ人のページ兄弟が「アングロ・スイス練乳会社」を設立する。 |
1876年 | 【四大発明】スイス人ダニエル・ペーターが、ミルクチョコレートを発明する。 |
1879年 | 【四大発明】スイス人ロドルフ・リンツがコンチェを発明する。 |
1893年 | アメリカ・シカゴで、万国博覧会が開催された際、チョコレートの製造が実演される。 |
大航海時代(1500年頃~1600年頃)
- コルテスは、1521年にアステカ帝国を征服した後、スペイン本国に対し、現地の人々の飲み物として「ショコラトル(チョコラテ)」というものがあることを報告している。
- ショコラトルは、一部の特権階級の人々しか飲めない大変貴重な飲み物で、甘味はなく、トウガラシ・トウモロコシ粉を混ぜたスパイシーなもの。
- ショコラトルの作り方:
①カカオ豆を土器に入れてロースト
②石板(メタテ)の上に置いて石棒(マノ)で砕き、すり潰す
③水を加えてペースト状にし、トウモロコシ粉・トウガラシ・アチョテを加える
④攪拌棒(モリーニヨ)で激しくかき混ぜる - 本国スペインにも、アレンジが加えられ、宮廷に広まる
①砂糖で甘味をつける
②シナモン・アニスの実・黒こしょうなどを用いる
③ペースト状になったチョコレートをいったん温めてから別器で木製の撹拌器でかき混ぜる
④板状にして貯蔵や運搬に便利にする
⑤必要なときに湯や砂糖を加えて飲み物にする - 疲労回復効果があり、長寿が期待できると考えられた
- 国外に持ち出すことが禁じられた
- 100年近く、チョコレートはほとんどスペインの独占状態に
ヨーロッパでの広がり(1600年頃~1800年頃)
- カカオがいつヨーロッパに到来したか
説①:コルテスがアステカ帝国からカカオをもたらし、1528年にスペイン国王カルロス1世に献上した
説②:ドミニコ会士に同行したマヤ人が、1544年にフェリペ皇太子に贈呈した - 浸透ルート
①:地中海沿岸の南ヨーロッパのカトリック諸国(スペイン、ポルトガル、イタリア、フランス等)で受容されていった
②:北西ヨーロッパ(オランダ、イギリスなど) - お茶やコーヒーが普及した時期に重なり、ココアの改良・発展に大きく影響
- 16~17世紀、スペイン・ポルトガルは、メキシコ南半分・中南米に植民地を築き、カカオの主要な生産地を押さえる
- 17世紀、オランダ・イギリスは、東インド会社・西インド会社を興して中米カリブ諸島に貿易拠点を築き、本国に砂糖やカカオを輸送するルートを開拓する
- 当初スペインで門外不出とされたココア(カカオ)は、商人や修道士によって国境を越えて伝わった
- 1606年には、フィレンツェの商人アントニオ・カルレッティが、カカオ栽培・加工技術・飲料製造法まで習得し、イタリアに伝えている
- 1644年に、ローマの医師パオロ・ザッキアは、シャコラータ(チョコレート)はポルトガルからもたらされ、薬と認識されていたと記録している
- チョコレートのフランスへの伝来
①1615年、フランス国王ルイ13世とスペイン国王フェリペ3世の娘アンヌの結婚により、カカオを好んだ王妃がフランスへ持ち込んだ
②1660年、ルイ14世と結婚したフェリペ4世の娘マリア・テレサが、スペインからチョコレート調理人を連れてきた - フランスでも、貴族階級の女性を中心に、チョコレートを飲む習慣が流行した
- 聖職者の間で、ココアは「薬か食品か」「飲み物か食べ物か」という論争が起こる
- イエズス会はココアを飲んでも断食破りにはならないと主張、ドミニコ会は反対を主張
賛成派:ワインと同様に受容すべき
反対派:滋養になるため断食の趣旨に反する - 1569年、ローマ教皇ピウス5世は、飲料であり断食中に摂取してよいと判断を示す
- 脂肪分が豊富で体温上昇効果があることから、食品であるとする医師も多く、16~17世紀にかけて論争は続いていく
- イギリスでは、初期から庶民にも手が届くものとして登場
- 1655年、クロムウェルがジャマイカ島をスペインから奪い取り、カカオ豆供給源となった
- 1659年、週刊誌「ニーダムの政治報道」には廉価でカカオが入手でき、家庭でチョコレートを味わうことができる旨の広告が出されている
- 1745年、スイスの画家リオタールのチョコレートガールにおいては、濃厚なチョコレートとともに水を運ぶ絵が描かれている
- 1660~1688年(王政復古期)のイギリスでは、コーヒー・ハウス(コーヒーなどを楽しみながら議論や情報交換をする社交場)が登場。「ココアの木」という店は、トーリー党員の集会場として知られる。
- 18世紀頃には、ココアを飲む習慣がヨーロッパ諸国の大衆の間で広まるが、嗜好品の主役はコーヒーやお茶で、カカオ豆を磨砕しなければ飲めないココアは停滞
- イギリスでは、1660年にはチョコレート税が徴収され、1690年には販売ライセンス制度が導入される
- フランスでは、1693年にチョコレートの製造販売ライセンス制が導入される
- プロシアでは、1704年にフリードリヒ1世がチョコレートに課税
四大発明期(1800年頃~1900年頃)
- 産業革命では、本格動力によるチョコレート製造へと技術革新が進んだ
- カカオプランテーションの拡大により、カカオ豆が増産された
- ヨーロッパでも、サトウダイコンからの砂糖の生産と製造の技術が確率した
発明1 | 1828年、オランダのバンホーテン親子 ・ダッチプロセス(アルカリ処理し、酸味や渋みの縮減) ・ココアバターを取り除く圧搾機の開発→カカオパウダー(お湯と混ざりやすくなる) |
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発明2 | 1847年、イギリスのジョセフ・フライが、「イーティングチョコレート」を開発 ※カカオ豆と砂糖をすりつぶし、ココアバターを加えた ※スペインスタイル(カカオ豆をペッパー・バニラ・アニス・砂糖と砕き、ボール状に丸め、円盤状や棒状に固める) ※マリーアントワネットのピストル(ルイ16世の王室薬剤師スルピス・ドゥボーヴが液状にしたカカオマスを固め、薬を包んだものを作り、今でもドゥボーヴ・エ・ガレの定番商品となっている) |
発明3 | 1876年、スイスのダニエル・ペーターが、「ミルクチョコレート」を開発 ※液状にしたスイートチョコレートと濃縮ミルクを混ぜ、水力の機会で長時間かき混ぜ、冷やして固める ※濃縮ミルクは、前年にアングロ・スイス練乳会社が長期保存できる練乳を開発しており、それが利用されたとされる |
発明4 | 1879年、スイスのロドルフ・リンツが、「コンチェ」を開発 ※コンチェとは、ココアバターを均一にコンチングする撹拌機 ※メソアメリカのメタテとマノの原理を応用 ※器にチョコを入れ、石を転がして細かく砕くもので、なめらかな食感になるとともに、チョコレートの流動性も改善(型への充填が容易に) ※コンチェとは、スペイン語で貝のこと(コンチ貝) |