経験がなければ共感できないかというと、そういうわけではないと思われます。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。
経験がなければ共感できないのか
話し手と同じ経験があった方が共感しやすいのは確かです。
しかし逆に、経験がなければ共感できないのかというと、そうともいえないとも思います。
では、直接経験がない場合には、どのように共感していけるのか。
キーとなるのは、「抽象化」だと感じます。
直接そのような経験がなくとも、その経験を抽象化させていくと、例えば、喪失感であったり寂しさであったり不安感であったり、その抽象化した状況や感情と似た経験は何かしらある可能性は高まります。
同じ経験だとしても、同じ感じ方とも限らない
もうひとつ重要なこととして、「同じ経験だとしても、同じ感じ方とも限らない」ということが挙げられます。
同じ経験であっても、それをどのように捉えるのかは、人によって千差万別あるということもまた真実といえます。
同じ経験をしている場合、しているからこそ、”きっとこの人もこのようなことを感じているに違いない”と先走ってしまうこともありえます。
実際には、同じ経験であっても、同じ感じ方とは限らないわけですし、相手の話をよく聞き、状況や感情を教えてもらい、相手の様子をよく観察しなければ、どのような感じ方をしているかということは分からないものです。
相手に興味を持ち、相手の話を聞く
そうすると、つまるところ、「相手に興味・関心を持つこと」に勝るものはないと感じます。
相手の話を聞いても、自分の何らかを満たそうとするようでは、相手のことを理解する障害となってしまいますし、相手からもその違和感が透けて見えてしまうことになってしまいます。
自分の経験をベースにしつつも、自分の経験から外れたところであっても、相手の状況や感情を何がしかの(抽象的であっても)共通点を探し出し、できるだけ似た感情を想像して体験しようとすること。
自分の経験をベースにしつつも、相手という視点に立てば、自分と同じ感じ方をしているとは限らないので、よく話を聞いて教えてもらおうと思うこと。
これらは、「相手視点」に立とうとしなければ立つことができないわけですし、究極的には「相手に興味・関心を持つこと」につながってくるような気がしています。