我慢に我慢を重ねた上で、いよいよ意見を表明する場合、それは最後通告なのではなく、”話のはじまり”なのだと認識しておく必要があります。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
目次
昔の日本人の美徳、とされているもの
黙って耐える。辛さを語らず、不平をいわない。
日本人の美徳とされてきた考えですし、今も根強く残る考え方でもあります。
自分の考え・意見を主張すべき、という考え方
一方で、最近では、黙って耐えるのではなく、自分の考えや意見を積極的に主張すべき、という考え方もあります。
黙って耐えることも苦しいことですが、自分の考え・意見を主張することにも、大変な困難を伴うものです。
むしろ、自分の考え・意見を主張した後には、相手の意見も聞くべきで、さらなる話し合いを続けていかなくてはいけません。
自分の考え・意見を主張しただけで何かが解決されるわけではなく、まして誰かが解決してくれるわけではありません。
困難な話し合いを継続し、折り合いをつけていかなければなりません。
決してどちらかよいところをいいとこどりをすることはできず、どちらの道にも困難さが伴うということです。
最後通告ではなく”話のはじまり”
何かを主張することは”最後通告”ではありません。
主張してすべて通ることなどむしろ稀です。
主張した後には困難な話し合いが待っており、それをやり抜く根気や努力が必要とされます。
むしろ”話のはじまり”であると認識し、その後には様々な別の事情・現実・主張との困難な話し合いを続行してゆくのだ、という覚悟が必要とされると思います。