意見表明は最後通告ではなく”話のはじまり”と考える

我慢に我慢を重ねた上で、いよいよ意見を表明する場合、それは最後通告なのではなく、”話のはじまり”なのだと認識しておく必要があります。

河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。

目次

昔の日本人の美徳、とされているもの

黙って耐える。辛さを語らず、不平をいわない。

日本人の美徳とされてきた考えですし、今も根強く残る考え方でもあります。

自分の考え・意見を主張すべき、という考え方

一方で、最近では、黙って耐えるのではなく、自分の考えや意見を積極的に主張すべき、という考え方もあります。

黙って耐えることも苦しいことですが、自分の考え・意見を主張することにも、大変な困難を伴うものです。

むしろ、自分の考え・意見を主張した後には、相手の意見も聞くべきで、さらなる話し合いを続けていかなくてはいけません。

自分の考え・意見を主張しただけで何かが解決されるわけではなく、まして誰かが解決してくれるわけではありません。

困難な話し合いを継続し、折り合いをつけていかなければなりません。

決してどちらかよいところをいいとこどりをすることはできず、どちらの道にも困難さが伴うということです。

最後通告ではなく”話のはじまり”

何かを主張することは”最後通告”ではありません。

主張してすべて通ることなどむしろ稀です。

主張した後には困難な話し合いが待っており、それをやり抜く根気や努力が必要とされます。

むしろ”話のはじまり”であると認識し、その後には様々な別の事情・現実・主張との困難な話し合いを続行してゆくのだ、という覚悟が必要とされると思います。

2018年のMINIATURE LIFE展(長崎歴史文化博物館)にて

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