「十を以ってその一を攻むるなり」とは、孫子の兵法のなかの一説です。
中小企業や新規参入が、大企業や既存先と戦うための戦略として、非常に重要な考え方だといわれています。
”十を以ってその一を攻むるなり”
孫子の兵法の”十を以ってその一を攻むるなり”の説は、以下のようなものです。
故に人を形せしめて我に形なければ、則ち我は専まりて敵は分かる。我は専まりて一と為り、敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我は衆にして敵は寡なり。能く衆を以て寡を撃たば、則ち吾が与に戦う所の者は約なるなり。吾が与に戦う所の地は知るべからず、吾が与に戦う所の日は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。
「孫子」より
現代語に訳すと、以下のようなものです。
こちら側は相手側の全体像を把握しておき、かつ、こちら側の状況は明かさないようにする。
そういう状況であれば、こちら側は戦力を集中させることができ、相手側の状況もよく分かっている状態となる。
その上で、こちら側は集中して一つとなり、相手側を十ほどに分断してしてしまえば、兵力差は逆転することとなり、逆にこちら側の十で相手側の一を攻める状況をも作り出すことができる。
戦力的に有利な状況を作り出すことができれば、こちら側と戦う敵はいつも弱小とすることができるのである。
さらに、こちら側が戦おうとする場所もタイミングも相手側に分からない状況にできれば、敵はさらに多方面に備えなければならなくなる。
これは、少ない戦力で大きな敵と戦う場合の重要な戦略といわれています。
織田信長の桶狭間の戦いなどは非常の分かりやすく体現されているように感じます。
桶狭間の戦いとは、3,000人ほどの兵数しかなかった織田信長が、20,000人ほどの大軍を有していた今川義元を破った戦いです。
このとき、織田信長は、直前まで自分の方針は明かさず(決戦か籠城か軍議では明かさないようにしている。)、情報収集に力を注ぎ(結果、情報をもたらした部下に一番手柄を与えている。)、地形の複雑な桶狭間周辺で陽動戦などを展開して今川軍を分断し、ここぞというタイミング(豪雨)で急襲し、勝利を収めたといわれています。
ポイントを考えてみる
予定戦場を定める
可能な限り相手側の全体像が把握でき、かつ、自分の状況があまり分からないような複雑な予定戦場を選ぶことが重要ですね。
桶狭間の戦いでいえば、織田信長は、全体が見渡せ、効率よく物量を展開できる平野部ではなく、複雑な地形で物量がうまく展開できない山野部を最初から予定戦場としているフシがあります。
効率よく全体が見渡せ、効率よく物量が展開でき、最大限の収穫が臨めるマーケットは大手の得意とするところです。
その逆として、”全体が簡単に見渡せず、手が出せず、特有の知識が必要とされるマーケット”を選んで展開するのがよさそうです。
情報を収集する
相手の状況、出方を、よく情報収集することが重要といえそうです。
相手の力が分断されている状況を作る
相手の力が集中している状況ではなく、地形、展開の仕方など様々な要素で、相手の力が分散している場所で勝負するのがよいです。
自分の力を集中する
勝負どころを決めたなら、少量ずつ力を注いでしまっては成果を上げることができません。
決めた以上は、そこに自分のリソースを集中して注ぐことが重要です。
一点突破する
勝負する場所を決めたら、一点突破を図ります。
現代にも十分に通用する戦い方
中小企業においては、とかく大手との戦いとなります。
その場合、戦略なく戦っても、物量の違いから敗北してしまいます。
物量が展開しづらい分野を見定め、情報収集し、自社のリソースを集中し、一点突破を図ることを述べる孫子の考え方は、色褪せることなく、今も有効といえます。