「壁打ち」という言葉があります。
これは、1人ではできず、良き相手方がいないとできません。
河合隼雄「カウンセリング講座」(創元社)を読んで学んだこと。
「壁打ち」
「壁打ち」とは、ビジネスでテニスなどのスポーツ用語が由来です。
ただビジネスでも使われます。
自分一人で経営方針を考えたりアイデア出しをしても行き詰まってしまいがちなため、第三者に聞いてもらい、フィードバックをもらいながら進めること、です。
物ではなく、人が必要な領域
この「壁打ち」の相手方は、物では代用できません。人でないとできないことです。
例えば、深い悩みがあってムシャクシャしていたとして、物を壊したり投げつけたりしても、その場で多少スッとすることはありますが、まったく気分は晴れません。
しかし、その悩みを言葉に出し、かつ、それを聴いてくれる「人」がいて、「それは辛いですね」と言うだけで、物を壊したり投げつけたりしたときのその場しのぎの感覚とはまったく感覚がそこにあることを知ります。
無意識にSNSで自分の思いを発信したりしますが(他人の反応を求める目的が明確にあるわけでもなく)、ただ発信するだけなら手元の紙や携帯のメモに書くなどの方法もあるなか、無意識にあえて誰かに聞いて欲しい気持ちが働くことから、結果としてSNSで発信することが多い気がします。
人の言葉や気持ちが人に伝わったと思ったとき、より掘り下げて自分の気持ちを言葉にするようになります。
そのとき発し手は、自身の口にした言葉を反省したり角度を変えて考えたりします。
口にしてみたが、そこまでではないのではないだろうか、他にも別の面もあるのではないだろうか、などといった風に。
その心の”揺れ”のなかで、自分の考えを見直していきます。
ただ聞いていればよいわけではない
聞き手は、ただ聞いていればよいというわけではありません。
ただ聞いているだけでは、ただの容れ物になっているだけです(物と同じです。)。
話し手が言葉を発しつつも、ときどきは立ち止まってくれるように話を聴いていく必要があります。
そこに必要なのは、まず聞き手自身が、話し手の”辛さ”に共感する、ということになります。
ただ客観的に聞いているだけでは、話し手と聞き手が一緒に解決していくためのスタートラインに立つことすらできません。
話を聞きながら、相手の言葉の裏側にある気持ちや思いを自分の心で感じながら共感しつつ、ときどきは相手に立ち止まって考えてもらうように接する必要があるのです。
物・ITに代替できるものは多くなってきています。
それを追究することとの両輪として、「物は解決できないが、人が解決できること」を追究するようにしています。