荀彧、曹操は、三国志の登場人物です。
後の魏王となる曹操は、ライバルとの苦戦を強いられるなか、あえて補佐役の荀彧に相談します。
あえて補佐役に相談して意思決定しようとした真意と、補佐役を起用して意思決定する場合の留意点を考えてみました(私見です。)。
荀彧の進言
三国志のなかで、”関ヶ原”といえる天下の大勢を決した戦いといえば、「官渡の戦い」が挙げられます。
当時の中国のなかで最も豊かな地域である中原(北半分)をめぐる戦いで、曹操は、格上の袁紹と覇権を争って激突します。
曹操は、善戦し、局地戦で勝利を重ねたことから、厳しいながらも部下たちの戦意は割とふるっており、意気揚々とした状態でした。
しかし部下たちの知らないその裏で、曹操軍では兵糧不足が深刻な状態で、非常に苦しい局面でした。
そのなかで、曹操は、都に留守として駐留していた補佐役の荀彧に、あえて書簡を送り、撤退すべきか意見を問いました。
結果、荀彧は逆に進撃を具申し、それが勝利につながりました。
勝利に繋がったため、この「曹操の荀彧への相談」は、結果として荀彧の進撃策の進言のすごさが注目されています。
なぜ曹操は、荀彧に相談したかを考える
しかし、戦の勝敗はともかくとして、その状況で、”なぜ曹操は、あえて荀彧に相談したか”を考える必要があると思っています。
部下たちは、自軍がそこそこ善戦していると感じています。
しかし、内情としては兵糧不足が深刻で、ここはひとまず撤退するのが定道であり、曹操もそれを十分に理解していました。
勢いあるところに人は集まり、勢いのないところからは人は逃げていきます。
曹操は、味方の士気を下げないために、撤退することは君主が相手に恐れをなして撤退するのではなく、あえて荀彧に相談することで、補佐役の冷静な分析結果を聞き入れる形で、撤退することの大義名分を得ようとしたのだと考えています。
意思決定において、自分でない専門家を活用する意味と留意点
これは「経営」にも通ずるところがあると思っています。
すべてを自分自身で決めるのではなく、経営の勢いをつけるために・勢いを削がないために、あえて自分でない補佐役・専門家を意見を聞いて決める、というものです。
しかし、ただやみくもに自分以外の補佐役・専門家を活用すればよいというものでもないということも想像に難くありません。
決断を責任を丸投げすることはできませんし、社内の部下にそのようなとらえ方をされてしまった場合、逆に社内の勢いは削がれ、内部の反発を招いたりすることも多く、自身の信用を失う結果にもなりかねないからです。
自分でない誰かの意見を活用するためには、「そもそも何が組織の目標であるのか・自分自身のビジョンであるのか」「自力でどこまでベストを尽くしたのか」「なぜ補佐役に相談するに至ったのか」「その補佐役はどういう位置づけなのか。どこまで考えてもらい、どこから考えてもらわないこととするのか。」を、きちんと整理して言語化したうえで、社内にその思いや経緯を十分に説明し、理解してもらうことが重要になってくると思います。
官渡の戦いという激戦の最中、短絡的ではないそのような判断をした曹操の凄みと、その意図を読んだ上で、あえていい意味で期待を裏切り、思い切った献策を行った荀彧との、高等な会話によってもたらされた勝利といえるように思います。