うまく話せたら、、と思うことがありますが、その”うまく話す”と具体的な形で向き合ってみると遠いところにあるわけではないことがわかります。
永松茂久著「人は話し方が9割」(すばる舎)を参考として。
うまく話せないという悩み
極端な人見知りで、話すことへの苦手意識が強くあります。また、”うまく話せない”というコンプレックスを持っていました。
今では、周囲の人に聞いてみる限りでは、自分への印象として”話し下手”という印象を持っている人は少ないようで、むしろ”よく話せている”と感じる人が多いようです。
しかし、自分では”うまく話せないコンプレックス”はいまだ強く持っています。性格なので、人見知りも強いままです。
おそらく、それなりに社会経験を積み、様々な人と出会うなかで試行錯誤するなかで、日常生活に支障のない程度のコミュニケーションの取り方を自然と学んだのだろうと思います。
極端に努力したわけではありませんが、以下を心がけた気がしています。
これまで出会ってきた人のなかで似ている人をイメージする(→人見知りの緩和策)
人見知りではありますが好奇心は人一倍強い性格。
大学は関西へ、大学卒業後は関東へ。
そんななかで否応なしに、実に様々な人と出会ってきました。
そうすると出会ってきた人たちが自分のなかでデータベース化され、ある時点から、新たな人と出会っても、”あのときのあの人と似ている”と思うようになりました。
もちろん、人はそれぞれ唯一無二の個性があるものですが、自分のような人見知りが他人と取っ掛かりを持つには”あのときのあの人と似ている”という感覚はとても有用なものでした。
”うまく話す”は諦め、”聞く”を極める方向に特化した
20歳の時点で、”うまく話す”を諦めました。
どう努力してもうまく話せなかったからです。
なので、”うまく話す”を磨くのではなく、”うまく聞く”を磨くようにしました。
うまく話すための本は持て囃され、うまく聞くための本は種類も少なく隅においやられがちでしたが、あえてうまく聞くための本ばかりを買って読み耽るようになりました。
それはいまだにそうで、自分の活路は「うまく聞くこと」だという強い思いがあります。
”うまく話す”は諦め、”意図”を大事にするようにした
言葉足らずで、伝わらなかったり誤解されることも多かった気がします。
ある時点から、”意図”を大事にするようにしました。
”意図”を違えないこと。誠実であること。
それでも伝わらなければ、相手とはそもそも合わないのだろうと思うようになりました。
あえて言葉にすべきこと・あえて言葉にしないこと、を心がけた
「思うこと」と「言葉にすること」には、大きな隔たりがあります。
換言すると、思うことは自由で止められない部分が多いですが、その思ったことを言葉にするか・言葉にしないかは、その人の意志でコントロールすることができます。
それをあえて言葉にする・あえて言葉にしない、といった感覚を大事にするようにしました。
自分と他人を分けた(→他人をありのままに受け止めるようにした)
自分は自分、他人は他人。
自分がこうと思っても、それを他人に押し付けても意味をなさないどころか、トラブルになることもしばしばです。
なので、自分は自分、他人は他人、と分けて考えるようにしました。
どちらかといえば、”その人の見ている世界”を理解できるよう努めるようにしました。
言葉は一部分
「何を話すかではなく、誰が話すか」
という言葉は端的だと感じます。
他人は、その人の口から出る言葉だけではなく、総合的に見て判断しているものです。
”うまく話そう”と思うよりも、「あり方」が大事なのだと心がけることにしました。
話すことのハードルを下げる
話すことが苦手なのであれば、できる努力として、”話すことのハードルをいかに下げられるか”があります。
そのような意味で、永松茂久著「人は話し方が9割」(すばる舎)はとても参考になります。
話す前段階を整え、話すためのハードルを下げる、という対処です。
- 口角を上げる
- 肯定する(否定しない)
- うなずく
- ポジティブな言葉を使う
このような前段階をしっかりと整えるだけで、いざ自分が話すことへのハードルは下がってきます。