結果だけを見ると、後から英断といわれる決断は華やか・鮮やかで、ときに天才性を賞賛されたりしますが、その過程では、多くの葛藤があり、僅差で決断されていることも多いものです。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
明らかな正解のあることはとても少ない
明らかに正解のあることであれば、下すべき判断は明らかですし、迷うこともありません。
しかしながら、実際には、”明らかに正解のあること”よりも、”どちらも正解なこと”の方が多いのです。
どちらに進んでも正解、しかしどちらかを選ばらなければいけない場面、というものは、往々にしてあります。
決断は多くの葛藤のなかで、僅差で決まることも多い
後から結果だけを見ると、実に素早く正しい決断を、迷いもなく、決めたように見えます。
しかしながら、実際には、その背景に、思っている以上に多くの葛藤がなされて、その上で、実に僅差で決まっていることが多いものです。
数多くの選択肢のうちで、100:0で決まることは非常に稀です。
それぞれを比較衡量して、例えば、51:49などで決まることも少なくありません。
それは、たとえ、自分のなかで最初から”なんとなく”どちらの選択肢を取るかを感覚的に決めていたとしても、なんとなくのまま、100:0などで決断することはありません。
自分のなかで多くの葛藤があって、そのなかで、苦しみながら、僅差で決断していくことが多いものです。
表面だけではなく、底にある深い事実にも目を向ける
相手の決断に立ち会っていくことを考える場合、大きな決断であればあるほど、葛藤も深くなり、大きく揺れ動く場合も出てきます。
ひとつひとつの表面的な揺れに振り回されることなく、その場面場面での”その場に適したあり方”・”適正性”・”必要性”に冷静に対処しつつ、底にある深い事実に目を向けて、十分に51:49などまで煮詰めた後に、後悔しないその人らしい決断にたどり着くことができそうです。