一方が心情で訴えるときに、他方が正論で応じると、相容れない場合が多いものです。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。
目次
心情≠正論
人が常に正論で生きていけるかというと、難しい場合も多々あります。
”正論ではこうと分かっているけれど、、”といったこともあります。
そこには、相手のなかで”正論でいきたくないなにがしかの心情”があるのだろうと洞察したいところです。
その洞察をしないままに正論で返してしまうと、噛み合わなくなってしまうこともあります。
言葉の裏の心情を考える
”正論でいきたくないなにがしかの心情”について、古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)の説明は端的に分かりやすかったです。
- 不満を解消したい
- 尊重されたい
といった心情とのこと。
”正論ではこうと分かっているけれど、、”という遠慮の気持ちを理解してもらえない・正論を曲げてまで通したい自分の心情を理解してもらえない、尊重してもらえていない、といった部分です。
正論よりもまず最初にその気持ちの受入れができないと、なかなか双方の折り合いはつかず、解決に向かわない傾向があります。
最終的には、気持ちを受け止めるかどうか
前提として、相手のその気持ちを受け止めたいと思えるかどうかが重要な気がします。
その気持ちを受け止めたいと思えない相手であれば、そもそもの関係性は難しいのかもしれません。
逆にいえば、気持ちを受け止めたい相手なのであるのならば、上記のような状況においては、たとえ正論が分かってたとしても、まずは最初に相手の気持ちや状況を受け止めたいところです。
その受け止めの後に正論の話をしたとしても、決して遅くはないと思います。