「精神力」というと、なんとなく「耐える」こととのイコールのように思われていがちですが、その固定観念を見直してみると、考えの幅が広がりそうな気がします。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
勝つためには「精神力」が必要
何事も、勝つためには「精神力」なしにはなしえないことは言うまでありません。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)で、河合さんが出されていた話で、
スポーツは、「体力」を競う場であるにもかかわらず、スポーツ解説や勝利者インタビューでは「体力」の話題は少なく、「精神力」の話が大半を占めるという話、とても興味深く感じます。
また、その「精神力」を突き詰めていくと、”いかに苦しい練習に耐えたか”ということへ焦点を(半ば強引と思えるほど)当てがちだということ。
勝つためには、忍耐や苦しみが絶対なくてはならない、というのは、日本人が好む話の筋なのかもしれません。
マネジメントにおいても、「精神力」を掲げる場合、イコールとして「耐えること」を要求している場合が多いことからも、いかに我々が「精神力」=「耐えること」と思わされているかがよく分かります。
「精神力」=「耐えること」?
勝つためには「精神力」が必要という場合の「精神力」は、果たしてイコール「耐えること」かと改めて考えてみると、きっとそんなこともない気がします。
「精神力」のなかに含まれる要素ではあると思いますが、イコールではないはず。
人の精神はそのように貧困なものではなく、「耐えること」だけではなく、ピンチのときにチャンスに変える発想力であったり、状況に応じてアプローチを変える臨機応変性であったり、勝つために活用される精神の働き全般のことを言うのだろうと考えられます。
「精神力」=「イマジネーション」
精神力=忍耐力、というフレームは、敗北したときの免罪符としても使われがちです。忍耐してきたのに負けたのだからやむを得ないのだ、と言いやすい雰囲気にもなっています。
また、上に立つ立場の人間も、精神力=忍耐力というフレームにしてしまうことにより、なんとなくまとまりが出るような気がしてしまうこともあるのだろうと思います。没個性的な方が集団として一見まとまっているように思えるのです。
勝つための「精神力」=「忍耐力」、というなんとなくこれまでありがちな固定観念を改めて考え直し、勝つための「精神力」=「イマジネーション」と定義し直して、より広く捉え、勝つための方策を発想すると、よいアイデアが生まれるかもしれません。