無数にある情報のなかから日々の選択をしていくうえで重要となる「経営判断の軸」を持つためには、「あり方」を持ち、育てる必要性を感じます。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
とかく錯覚しやすい
無数にある情報のなかで、日々、経営の判断をしていかなくてはいけません。
しかし、一見なんとなくよく見えることも多く、それらに場当たり的に対応していってしまうと、一見全体でもうまくいきそうでいて、ふと振り返ると、一貫性がなく自身の本当の理想から遠ざかっていたりすることがあります。
一見なんとなくよく見えることでも、あるいは、何かしらしておいた方がよいのではないかと思うことでも、「経営判断の軸」を持っていれば、過去・現在・未来の一貫性の観点からも検討することができ、短期的にはよさそう(やっておいた方がよさそう)でも、長期的に自分の「あり方」と合わないようであれば見送る、という選択肢を持つことができます。
これは、対取引先・対従業員への考え方にも当てはまります。
自社の商品・サービス・技術を磨き、一定の「権威(オーソリティ)」を確立することができると、自然と、従業員が増え、取引先が増えます。
元来、「権威」と「権力」は性質の異なるものです。しかし、一見よく似ています。
ここで、「権威」を築いたことを、あたかも自分自身が偉くなって「権力」を持ったかのように錯覚してしまうと、判断を誤ることになります。
それは、錯覚しやすい環境に身を置くことにもなることも起因しています。
権威を持つことで、周囲にはその権威(というよりも権威と表裏にある権力)から甘い汁を吸おうと思う人が集まってくるので、錯覚しやすくなるのです。
「権威」であるのか、その表裏にある「権力」なのかは、例えば、意表を突いた質問を受けたときの反応に出ます。
自分の築き上げた「権威」の対象となるものをもう一度見直し、その質問に対してあくまで真摯に答えようと努力をするのか、頭ごなしに否定するのか(=権力を行使するのか)どうか。
あり方を定める
「権威」か「権力」かは一つの例えですが、それ一つ取っても、「権威」と「権力」のような性質の異なるものでも、自分の判断軸がブレていたり周囲の環境になんとなく馴染んでしまっていたりすると、その性質の違いを見誤ることになります。
そのような意味でも、自分の判断の軸がブレないようにするよう自分の「あり方」を持っておく必要があります。
この「あり方」は、和仁達也先生の言葉を借りると、「人生・ビジネスにおける言動の起点になるスタンス・立ち位置」です。
事業における理念・ミッションが明確であれば、常に自身の立ち位置を明確に意識することができます。
そして、それを起点として、言動・判断を発信していくことができます。
一貫性ある言動・判断を取ることができれば、信頼感が増すこともできます。
何が自分の存在を支えているか
自分のなかの「あり方」が明確であれば、「権力」と無関係な形で自分の存在を支えている「権威」をしっかりと持ち続けることができます。
もちろん、それには常に自問自答や努力が必要にはなると思います。
とかく「権威」は「権力」と混同しやすく、ともすると敬遠されがちなのですが、「権威」そのものは自分の内面をしっかりと支えてくれるものとして、特に捨てる必要もないものです。
要は、「権力」とは異なるものだと自分のなかで整理できているかどうか。
それを整理するためには「あり方」が明確である必要がありそうですね。