話を聞くことは尊敬の表明

話を聞くことは、尊敬の表明と考えられます。

ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。

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テクノロジーによる錯覚

テクノロジーの進展は、あたかも人の話を聞くことなど不要と思わせ、聞いてもらうことすらも不要と錯覚させます。

デバイスは、心が疲弊しているときもあたかも社会と繋がっているかのように勘違いさせるのですが、実際問題、人は、誰かと感情を共有することで心が満足したり癒やされたり充実感を感じたり幸福感を感じたりするという事実は変わらないもので、そこで人はそこはかとない空虚な感覚を抱えてしまうものです。

本気で相手の話を聞くことということは、尊敬の証

相手のことを大事に思うのであれば、「本気で相手の話を聞く」ということは尊敬の表明であるといえます。

世の中、誰かに話したい(聞いて欲しい)と思う人は多いものですが、聞きたいと思う人はわずかなものですし、そのようななか、話を聞くということは褒め言葉よりも嬉しいものです。

尊敬する人を大事にする気持ちを示すとしたら、ただ言葉だけではなく具体的な行動、つまり本気で話を聞くという気持ちが必要と考えられます。

聞くことで関係が強まり、聞かないことで関係は弱まる

人は、誰かと話すときには、自分の一部を差し出していると考えることができます。

アイデアを話したり、思い出を話したり、夢を語ったり、不安をさらけ出したり、何がしかの意味でその人の一部であると考えられます。

そして、自分が誰かに話したい・聞いて欲しいと思っているときに、誰かが親身に聞いてくれると心が救われるものです。
逆に、思いやりをもって聞いてもらえなかったときには、”今後は本心を話せない”と捉えて心を閉ざし、その後は表面的な関係になっていく可能性もあります。

すなわち、相手との関係は、聞くことで関係は強まり、聞かないことで関係は弱まるということになります。
(これは、誰の話も本気で聞かなければならないということを意味しないということになります。)

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