逆説的ですが、親密であればあるほど、相手への誤解は増えるものです。
ケイト・マーフィ著・篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳「LISTEN」(日経BP)を読んで考えたこと。
相手のことを知っているという思い込み
逆説的ながら、親密であればあるほど、相手への誤解が増える傾向があります。
それは、親密ゆえに相手のことを十分に知っていると思い込んでいるためです。
思い込みによって、親密であった関係もどこかで軋轢を生じてしまうことすらあります。
人は常に変わる
相手のことを十分に知っていると思い込んでも、それが当たらないというのはごくシンプルなことで、”人は常に変わる”からです。
ある時点で親しくとも、日々それぞれ人は変わっていくものなので、ある時点での親しさというのは、その後の関係においては、それを維持するのに逆に作用してしまうと考えられます。
先入観という壁
どこかの属性に属していると、共通の価値観や経験が見つかるので安心してしまいます。
しかしながら、結局のところ、なんぴとたりとも、その属性を代表して発言することはできないものです。
例えば、”男として言わせてもらうと”と言ってみたところで、結局のところ、自分の意見にすぎません。
属性がどうあれ、結局はそれぞれに異なるものだからです。
関係は、「聴くこと」で守られる
以前から親しいからといって聴くことをおろそかにしていると、どんどん溝が開いてしまうものです。
なぜなら、親しさに関わらず、人は相手によって話す内容や深さが変わるからです。
何を話そうか・どこまで話そうか、ということに関し、相手が聞く姿勢を持ってくれていなかったり、偏見を持って聞いていたり、粗探しのために聞いていたり、一方的な意見を言うタイミングを探っていたりしていると、話す側も自己開示をしようという気がなくなったり話す気力がなくなったりするためです。
親しいから相手のことはすべて知っているという思い込みや、見た目や属性などによる先入観を取り払って、目の前の相手の感情に耳を傾けるように、常に十分に話を聴くことで、その人との関係性は常にアップデートし守られるということになります。