客観的事実を集めても解決できないこともある

相手の話を聞いている歳に、どれだけ客観的事実を尋ねて集めたとしても、解決できないことがあります。

古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。

目次

あれこれ聞きたくなるのはなぜか

相手の話を聞いていると、色々と聞きたくなるときがあります。

”いつ”・”どこで”・”なぜ”・”何を”・”どうした”、などといった客観的事実に関することです。

客観的事実が集まると、聞き手である自分自身が、話し手の話のなかの疑問・問題が解決できたような気になり、スッキリしたような気になってしまいます。

そのため、”聞き手である自分自身のために”、話し手の話を十分に聞かないままに、聞き手に対してやたらと客観的事実を尋ね、話のなかの問題を解決したくなるということに陥りがちです。

相手のペース・主観を大事にする

ただ客観的事実を集めたとしても、話し手の気持ちを理解することはできるとは限りません。

話し手のなかの問題を解決することはあくまで対症療法的であって、実際には、話し手の気持ち(主観的事実)や世界観を理解することでしか、問題の核心に触れることができません。

つまり、話し手が、話し手の話したいことを、話し手のペースで話してもらう環境づくりをしていくことによってのみ、相手が本当に大切にしていることや問題の核心に触れていくことができるということになります。

質問は、あくまで、聞き手が聞きたいことを聞くというよりも、話し手が話をしやすくなる・盲点に気づくきっかけを持ってもらうといった観点で考えてみたいところです。

話の主導権を奪わないようにする

ただひたすら客観的事実を尋ねようとすることは、あくまで聞き手である自分の都合によるものです。

それは、必ずしも話し手が抱える問題解決につながっているとはいえず、話し手と聞き手との関係を深めることに資するということにはならないと考えられます。

客観的事実を整理し、話のなかの表層的な問題を解決しようとするのではなく、相手の主観的事実を理解することを目的と考えると、自然と質問の意味もタイミングも変わってくることになります。

「質問」が本来話し手にあるべき話の主導権を奪ってしまうことになるのだとしたら、話し手の主観的事実を理解することができず、話し手が抱える問題の核心に触れることができません。

逆にいえば、相手の主観的事実を知ろうと思うと、話の主導権を話し手から奪わないようにしたいところです。

結局のところ、聞き手に求められるのは、聞き手都合ではなく、話し手都合で話を聞こうとする心の度量なのだろうと思っています。

古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)に整理されていた”傾聴と事情聴取の違い”はとても参考になりました。

傾聴
事情聴取
  • 話し手が話したいと思うことを話す
  • 会話のペースは話し手次第
  • 沈黙には話し手にとって意味があるものと考える
  • 話し手の主観を理解しようとする
  • 聞き手が知りたい情報を聞く
  • 話し手に何を話させるかは聞き手が決める
  • 沈黙には問答無用で意味がないと考える
  • ただ話し手の客観的事実を知ろうとする


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