ともすると、”昔はよかった”などと言いがちですが、それそのものに意味があるわけでもないということも、大体の人はなんとなく分かっています。しかし、使いたがるのには意味があるからで、その意味を知っている知っていないでは違いが出そうです。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
”昔はよかった”に意味があるか
年を重ねるにつれて、”昔はよかった”という言葉が出がちになってきます。
かといって、本当に昔がよくて今が悪くなった、と言えるかというと、そうとも言えないようなことがほとんどです。
長期の軸で考えて、人類の歴史を考えてみても、縄文時代から現代まで、縄文時代がよくて現代は悪くなっているのかというと、そんな気もしません。
大体の物事はトレードオフ(一得一失)で進んでいることが多いので、おそらくは、昔と比べてよくなったこともあれば、悪くなったこともあるのでしょう。
また、”昔はよかった”と言う場合でも、”ではよくするために、今、具体的に何をすべきか”、という前向きな話になることは少ないものです。
上記のようなことは、強弱はあれど、大体の人は、なんとなく感覚的には理解できているような気もします。
なぜ使いたくなるのか
あまり意味のない言葉だとなんとなく分かっていて、使いたくなるのには、きっと理由(人の習性)があるはずです。
僕個人的の使う場面を振り返ってみると、社会の変化についていくのが仕事と考えて張り詰めているからか、仕事ではあまり使わない言葉なのですが(意味のない考え方もあまりしたくないですし)、しかし、プライベートで学生時代の友人と話すときには、時々どちらからともなく、そのような話になるときがある気がします。
なぜ使いたくなるのか。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)での話によれば、「変化について行けない」と感じるときに、そう言いたくなる傾向があるようです。
変化について行けない・ついていく道筋が遠いと感じることがあるけれど、さりとて、懸命に生きてきたこれまでの自分のこれまでを否定することもしたくないし、というときです。
普段、変化についていくために努力をしているけれど、人間いつも頑張れるわけでもありませんし、ふと仲間うちで、力を抜いてリラックスして話すときに使いたくなる気がします。
おそらくそれは精神衛生上、そんな風にふとバランスを取りながら生きているということなのでしょう。
性質を知っていると距離感が掴める
”昔はよかった”は、さして意味のない言葉なのかもしれませんし、建設的でない言葉なのかもしれません。どうという言葉でもないのかもしれません。
しかし、精神衛生上、使うことでふとリラックスできて、またオンのときに頑張れる、といった側面もある。
そう考えると、ことさらに使うべき言葉でもなく、さりとて、忌み嫌うような言葉でもないのだ、という風に考えることができます。
”昔はよかった”の話題は一例です。
物事の性質を整理して知っていると(意味がないのになぜ使われているのか等)、その物事とうまい距離感が掴める気がします。
近づきすぎず、遠すぎず。
好きになれないことでも、実際に使われているというのには何らかの意味があって、過敏になる必要もない。
そんな風に柔軟でいると、様々な情報をキャッチアップしていけそうです。