「聞く」はスキルとして捉えるというよりも、より根本的な自分の表現方法として捉えています。
永松茂久「人は聞き方が9割」(すばる舎)を参考として。
感情を受け止める
突き詰めていくと、「聞くこと」とは、”話の内容を解する”のではなく、”話のなかにある感情を受け止める”ということだな、と思わされます。
例えば、以下のような表現があります。
- ”まずは感情を受け止めた”という意思表示をする
(返答に入る前に、それは辛かったね、などの感情を受け止めた旨の言葉を添える。) - 大事なことはメモを取りながら聞く
(状況によっては、躊躇せずメモを取りながら聞くことが相手への安心に繋がることがある。) - 質問はギフト
(”質問”は相手への贈り物・プレゼント)
これらは、話の内容ももちろん理解しながら聞きつつ、その内側にある「感情の受け止め」ということのよりよき表現方法なのだと気づかされます。
聞き手が行う、相手への”敬意”の表現方法なのだと考えています。
なぜ聞きたいのか
話し手には聞き手が必要不可欠
話したいことがあるとき、人には必ず「聞き手」が必要です。
壁に向かって話して解決する、物に向かって話して解決する、日記帳に書いて解決する、AIに話して解決する。
そんなときもあるかもしれませんが、多くの場合にはそうではなく、「聞き手」が必要とされます。
聞いてくれる人がいてこそ、話すことで安心することができます。
直接すぐに聞いてくれる人がいないとき、それを壁に向かって話すでもなく、誰にも見えない日記帳に書くでもなく、SNSに発信したくなるのは、それによって周囲からの受け止め(コメントやいいね!)があると嬉しい・安心と感じるだと思っています。
何のために聞いているか
私自身、「何のために聞いているか」と問われると、”他人への貢献”でやっているというわけでは必ずしもなく。
問われれば、「好奇心」だと感じています。
自分以外の価値観や着眼点を知ったときに、”そういう物の見方があるのか”と発見して、嬉しさ・楽しさを感じるからだと思っています。
さらに聞いて「相手に見えている世界観」を知ることで、さらなる新しい発見があります。
自分のために自然とやっていることなので、聞く技術に、興味もあるし、磨きたいと思えるのだと思っています。
表現方法として
「話す」技術は、世の中に溢れています。
この「話す」技術は、ある程度までは”テクニック”と割り切っていい部分が多いように思います。
一方で、「聞く」技術は、”テクニック”と理解すると、多くの場合ではうまくいかないような気がしています。
「聞く」技術は、「相手への敬意」が大きく根本にあって、その表現方法としての「形」なのだと思っています。
「聞く」ことそのものが、相手へのギフトになる、ともいえます。
そして、”あげたい相手にあげることが一番”だとも思います。
聞くからといって必ずしも受け身とは限らず、「聞く」技術も、アートなど自分自身の個性を表現するむしろ能動的な表現方法なのだと感じています。