「例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし」という言葉は、山名宗全の言葉です。
山名宗全とは
山名宗全とは、室町時代の武将(1404年~1473年)です。
室町時代から戦国時代へのきっかけといわれている応仁の乱の中心人物の一人で、西軍の総大将です。
例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし
山名宗全の有名な逸話として、とある公家との対話が遺されています。
(実話か分からないものの、山名宗全という人をよく表す言葉であるといわれています。
その公家は、非常に博識だったようで、古今の実に様々な事例を用いながら、持論を語ったそうです。
目まぐるしい時代のなかで生きる山名宗全にとっては、それがとても苛立ったそうで、以下のように反論したといわれています。
いちいち過去の事例を挙げて自説を補強しようとするのは一見博識のように見えるものの私から言わせれば、実にみっともない。
「塵塚物語」より意訳
これからは、「例」という言葉に替えて「時」という言葉をお使いなさい。
(例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし)
「例」とは、しょせん、その時の「例」にすぎない。
前例にとらわれすぎて”今このときの時代の変遷”を見ようとしないから、あなたたち公家は、武家に天下を奪われたのだ。
私程度の身分の武士でも、あなたのような高貴な方と対等に話すなどといったことは、過去にも例のないことでしょう。
これが「時」というものだ。
あなたが、「例」を捨てて「時」を知ろうとするならば、私はよろこんであなたたちを助けましょう。
「例」ではなく「時」で捉える
”前例”にとらわれすぎるのではなく、”今この時”をよく見るのだ。
という言葉は、当時、時代を動かした人物ならではの迫力を感じさせます。
”これまでこうしてきたから”ということは、有力な拠り所ではあるものの、それにしがみつきすぎて、今まさに目の前で起きている変化・流れる時勢を見ないでよいということにはならないのだと。
そう考えると、今なんとなくこれまでの流れで生活しているいろいろなものを改めて見直し、積極的に時流に飛び込んでいかなければという勇気が湧いてきます。