沈黙の迫力は聞き手の度量

会話には「沈黙」や「間」があります。

大事な話のときにおいては不要なものなどではなく、むしろ重要であり、聞き手の度量が試されていると感じます。

東山紘久著「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社) を読んで実践して以来15年、学んだこと。

目次

「沈黙」や「間」の意味合いを考える

大事な話は「沈黙」や「間」があるものです。

状況から意味を考えるに、それは、会話が途切れているのではなく、両者の心はつながっていながらも、お互いに沈思黙考し、心のなかで自身や他人と会話しつつ、会話そのものが続いているといえます。

両者の心のつながりがなくなってしまえば、その状況は無意味なものになり、成立しません。

心の会話を「沈黙」と「間」に込める

言葉がなくとも会話している以上、会話のなかの「沈黙」と「間」は、重要なコミュニケーションの手段となります。

その「沈黙」や「間」に対し、いかに自分の思いや存在をかけることができるかによって、会話の質、深み、広がりなどは変わっていきます。

迫力を生むのは聞き手の度量

お互いの心がつながっていながら、「沈黙」や「間」に迫力を持たせ、会話に質、深み、広がりなどを持たせることができるかどうかは、ひとえに話を「聞く力」であり、聞き手の度量といえそうです。

一朝一夕で作り上げることができるものではなく、その人の心のありようや大きさがかかっているものです。

東山紘久著「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社) を改めて読み直すなかで、自身が心に留め、これまで15年間で心がけてきたことを振り返ることができましたし、いまだ自身の何ができていないか、どうすればよいかが改めて分かった気がします。

話し上手になれないなら聞き上手になりたい、という取組みは、僕の仕事のテーマに限らない人生のテーマでもあります。

長崎になる唐寺のひとつ、崇福寺。言葉が必要でない迫力を感じます。

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