ときには叱らなければ伝わらないのかどうか。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。
叱って伝わる”条件”を知っておく
ドラマなどを見ていると、”叱って伝わる”シーンなどをよく見ます。
叱って伝わるのどうか。
叱っても伝わる”条件”について、古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)で解説されているところによると、
- 叱られる側に「なんとしてでも身につけたい・成長したい」という強い熱意と必死さがあること
- 叱る側に「なんとしてでも相手に身につけてほしい」と願っていること
- 双方に、強い信頼関係があること
上記の条件が揃っていない状態で叱った場合、単に、相手から反感を買い、関係は深まるどころか溝が深まるばかり、ということになります。
つまり、ドラマなどの”叱って伝わる”シーンとは、日常のなかで長期間にわたって、地道に、各人の思いや関係性などが構築され、上記のそれぞれの条件がゆっくりと醸成されてきて、それが表面に派手な形で表れるのが”叱る”シーンであるということになります。
そのシーンだけを切り取って見てしまって、誰にでも叱れば伝わるなどと思ってしまうと、ごく単純に、周囲から反感を買うだけ、ということになってしまいます。
とにかく叱ればいいという人でも、逆に叱られる側になると、ただふてくされて他人の意見を受け入れない状態になることも容易に想像することはできるものですし、それが分かると、”とにかく叱ればいい”は誤りであることが分かります。
相手のペースより自分のペースを尊重していないか
分かって欲しくて”叱る”という手段を用いているかどうか。
まずは、叱る側として自問自答したいところです。
本当に相手のためを思っているのか。あるいは、相手が自分の思い通りにならないために自分自身が苛立っているのか。
後者であれば、”自分都合で叱っている”ということになり、相手からは反感を買うことになります。
相手を思ってという場合で、かつ、上記の条件が十分に満たせていない状況なのであれば、”叱る”という手段は相手のためにはならないことは明白です。
なので、その場合は、”心配している気持ちを率直に伝える”が最善策なのだろうと思われます。
相手のペースを尊重する
相手を思ってということなのであれば、まずは自分自身が十分に相手を尊重し、信用したいところです。
その場合では、相手が自分の思い通りにならないからという理由で苛立つこと自体に違和感が生じます。
あくまで相手を尊重し、信用して、相手のリズム・ペースを受け入れて、相手の日々変わる心情を理解するために丹念に聞き取っていくことで、少しずつ変化も生じていく可能性が出てくる気がしています。