自分の世界を限定して物事を発想すると、一見正しいようで、色々と弊害がありそうです。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
目次
自分の世界を限定して発想すると
「非の打ちどころのない意見」というものは、ときとして、なんとはなしに反撥心を掻き立てるときがあるものです。
そもそも非の打ちどころなく正しいものなどはなく、ましてそれを持って相手を責めることもできないものです。
しかし、生真面目になればなるほど、”自分の世界を限定”し、安全なところから物事を発想することで、
非の打ちどころのないような正しさを磨き上げてしまいがちなものです。
そして、それが無反省に繋がってしまい、結果として他者に対して鈍感に映り、弊害が生じてしまいます。
相手の世界に心を開く
”自分の世界を限定”せず、自分の立ち位置を、より相手が見ている世界に近づけ、
結論を急がず、画一化せず、相手の言い分や立ち位置や心情を十分に受け入れる素地を持つことができれば、
結果として、必ずしも非の打ちどころのないような正しさを磨き上げるのではなく、
自身の意見に対するフィードバックも受け入れて反省しながら、根気強くやり取りを継続することができ、
自分にも相手にも納得のいくところに落ち着き、建設的なやり取りをしていけるようになりそうです。
大事なのは「余裕」や「余白」
自分にとって思いもかけない世界もあるのだということを認めるには、
心の「余裕」や「余白」、といったものが必要といえそうです。
自分の世界を限定せず、怖くとも、自分にとって思いもかけない世界もあるものだとという前提で、
相手のいる世界や見えている景色を、十分に興味・関心をもって聞き、理解していこうとするには、
「余裕」や「余白」、あるいは休みやユーモアといったものが必要だと感じます。