ひとことで”共感”というものの、そもそも”共感”がどういうものなのか。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)を参考として。
目次
”受け止める”と”共感する”は異なる
相手が喜怒哀楽を表現しているとして、それを”受け止める”のと、”共感する”のとでは異なっています。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)での表現がわかりやすく感じたのですが、”受け止める”だと、相手の感情を見てただ理解するということにとどまっていて、共感とまではいえないということです。
”共感する”とは
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)においては、「共感」の定義について、以下のように表現されていました。
傾聴における共感とは、話し手が感じている感情を「それは腹が立つよなぁ」「それは悲しいだろうなぁ」などと、あたかも自分が話し手になったかのように想像し、感じ、その感情を味わうことをいいます。
古宮昇著「はじめての傾聴術」(ナツメ社)より
一歩進んで”感じ取る”
相手の喜怒哀楽を見て受け止めて、それをあたかも自分が相手になったかのように想像し、感じて、その感情を味わうことが「共感」といえます。
しかしながら、相手を見て受け止めることができる感情というものは、表面に表出されているいわば氷山の一角に過ぎないともいえます。
その表出された表情を受け止めたうえで、さらに一歩進み、相手の心の中にある言葉や表情に表れない心の奥にある感情を感じ取ることができるかどうかまで考えたいところです。
そこまで踏み込むには、言葉だけでなく、顔の表情・声の調子・声の高低・声の強弱・しぐさ・服装・髪型などに至るまで観察し、感じ取ることが必要といえそうです。