努力すれば絶対結果が出るとは限りません。しかし、努力しなければ結果は出ません。
「努力」というものをどのように捉えるべきか。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
GWの焦燥感
GWになると、どことなく焦燥感を感じます。
独立後、3月決算法人の引受量を調整することもできる状況で、GW休もうと思えば休める状態であるにもかかわらず。
それは、過去の記憶があるからです。
税理士試験受験時代、僕にとっては、このGWが最も辛く感じました。
春は、気温も風も心地よく、花も咲き、鳥も活発に鳴く季節です。
外ではあらゆる生命力が満ち溢れているなかで、室内でずっと勉強していることは、とても辛かったのです。
それ以来、税理士試験の受験が終わった後も、毎年GWになると、何にも捕らわれたくないようでいて、でも、なんだか仕事の面で何かしらしていないといけないような気持ちになるような、二律背反な複雑な気持ちになっていました。
GW中も何か仕事での努力をしていないと自分の存在が脅かされるような、それでいて、(昔の記憶から)GWこそは解放されて努力は一時は忘れたいような。
「努力すれば必ず結果が出るわけではない」ということが実際のところ
努力すれば必ず結果が出る。ひたすらに我慢をし、努力すれば問題はなんだって解決する。
知らず知らずのうちに、どことなく、そう思ってしまいがちです。
ただ、その考えが自身を追い込み、苦しめることもあります。
いくら努力してもうまくいかないとき。解決の糸口さえ掴めないとき。
”自分の努力がもっと足りないのではないか”と、不必要に自分を責めることがあります。
あるいは、”こんなに努力してもうまくいかないのは、〇〇が悪いからだ”を、無意味に他者を責めることも考えられるでしょう。
「努力すれば必ず結果が出る」という縛りは、いずれにしても自分の苦しみを増幅させてしまうことが多いと思います。
しかし、現実の実際のところはといえば、「努力すれば必ず結果が出るわけではない」ということなのだと思います。
人事を尽くして天命を待つ
努力し続けることを免罪符にしている、という場合もありえます。
何もせずにいることがとても恐怖で、努力をしていればそのなかに逃げ込むことができるので、そこに逃げ込んでします。
派手な結果にばかり目が行って、肝心の日々の努力の質がおろそかになっている場合もありえます。
一方で、
「努力をしなければ結果は出ない」「結果を出す人は努力している」
これもまた実際のところです。
ゆえに、「努力すれば必ず結果が出る」わけではないことは、実は心のなかでは分かっているのだけれども、かといって、何もないときに何もしないでいることは、ソワソワしてしまってかえって平静でいられないので、そんな心理状態に陥るよりは、努力でもしている方が気持ちが落ち着く、と考える程度の距離感がよいのかもしれません。
結果が出る出ないは、最終的には自分の力ではどうにもできないこともあり得るものであるし、努力しているうちに、あるいは結果があちら側からふとやって来てくれるかもしれないので、それまでは自分にできることを尽くしていこう、という距離感です。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」感覚がよいようです。