孫子の兵法(31~33/勢編)

「孫氏の兵法」から学べること。

目次

31)勢編/大勢の兵士を統率する方法

原文

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也、闘衆如闘寡、形名是也、三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也、兵之所加、如以碬投卵者、虚實是也

書き下し分

孫子曰く、凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是なり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是なり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗無からしむる可きは、奇正是なり。
兵の加うる所、碬を以て卵に投ずるが如くなるは、虚実是なり。

大勢の兵士を統率しようとする際、あたかも少数精鋭で統率するかのごとくうまくできるのは、「軍の編成方法」が優れているからである。

大勢の兵士を指揮して戦おうとする際、あたかも少数精鋭を指揮しているかのごとくうまくできるのは、「旗や太鼓などによる情報伝達方法」が優れているからである。

味方のすべての部隊が、敵からどのような攻撃を受けたとしても、決して負けないのは、正規の戦法と変則的な戦法をうまく使い分けることができるからである。

味方の軍隊が敵を攻撃するとき容易に打ち破ることができるのは、味方の強点をもって敵の弱点を攻撃するからである。

32)勢編/正攻法で戦う、奇法で勝つ

原文

凡戰者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也

書き下し分

凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。
故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭(つ)きざること江河の如し。
終わりて復(ま)た始まるは、日月是なり。死して復た生ずるは、四時是なり。

およそ戦いというものは、通常は正攻法で敵と戦いつつ、最終的に状況の変化に応じた奇法で勝つものである。

したがって、正攻法の態勢からうまく奇法を繰り出す軍隊というものは、その戦術は、天地の動きのごとく無限であり、長江黄河の水のごとく尽きることがない。
それは終わってまた始まる日月のようでもあり、消滅したものが再生する四季のようである。

33)勢編/正攻法×奇法の組み合わせ

原文

聲不過五、五聲之變、不可勝聽也、色不過五、五色之變、不可勝觀也、味不過五、五味之變、不可勝嘗也、戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之

書き下し分

声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴くべからざるなり。
色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざるなり。
味は五に過ぎざるも、五味の変は勝(あ)げて嘗(な)むべからざるなり。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。
奇正の相生ずること、循環の端無きが如し。孰(たれ)か能く之これを窮(きわ)めんや。

基本的な音階は五音しかないが、その組合せによる変化は無限であり、聴き尽くせないほどの音楽が生まれる。
基本的な色は五色しかないが、その五色の組合せによる変化は無限であり、見尽くせないほどの色が生まれる。
基本的な味は五味しかないが、その五味の組合せによる変化は無限であり、味わい尽くせないほどの味が生まれる。

これらと同じく、基本的な戦いの陣形は正攻法と奇法との2つしかないが、この2つの組合せは無限で、極め尽くすことができないものとなって生まれてくる。

思いもよらない正攻法と奇法の組合せが続々と生まれてくることは、丸い輪がが循環するかのごとく端がないとの同じである。誰がこれを極め尽くすことができようか。

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