「孫氏の兵法」から学べること。
93)九地編/呉越同舟
故善用兵者、譬如率然、率然者常山之蛇也、擊其首則尾至、擊其尾則首至、擊其中則首尾倶至、敢問、兵可使如率然乎、曰、可、夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手
故に善く兵を用うる者ものは、譬えば率然の如し。
率然とは、常山の蛇なり。
其の首(かしら)を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶(とも)に至る。
敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきかと。
曰く、可なり。
夫れ呉人と越人と相悪(にく)むも、其の舟を同じくして済(わた)りて風に遇うに当たりては、其の相救うや、左右の手の如し。
戦が巧い者は、例えて言うと、”卒然”のようなものである。”卒然”とは、常山にいるといわれる蛇のことである。
その蛇は、頭を攻撃するとただちに尾が援護しに来る。腹を攻撃すると頭と尾がともに援護しに来る。
これを踏まえると、軍隊をその卒然のように動かすことができるのか、と問われるかもしれない。
それは可なのである。
そもそも呉人と越人とは隣国同士で互いを憎しみあっていたが、同じ舟に乗り合わせたときに強風に遭って舟が沈みそうな場合には、お互いに助け合うのである。
それはあたかも左右の手のように一致協力しながら助け合うのである。
94)九地編/自然と動くには、ルール運用が重要
是故方馬埋輪、未足恃也、齋勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也、故善用兵者、攜手若使一人、不得已也
是の故に馬を方(つな)ぎて輪を埋(うず)むるとも、未だ恃むに足らざるなり。
勇を斉(ととの)えて一の若くするは、政の道なり。
剛柔皆得るは、地の理なり。
故に善く兵を用うる者、手を携(たずさ)うること一人を使うが若きは、已むを得ざるなり。
馬を並べて繋ぎ止めたうえで戦車の車輪を地に埋めて防備を固めても十分ではない。
兵たちを奮い立たせて一丸とするのは、まつりごと(制度やルールの整備、指導など)のやり方によるのである。
強い者も弱い者も、それぞれの力を存分に引き出して戦うことができるようにするのは、地の理が活かせるかによるのである。
戦の巧い者が、兵士皆を一致協力させてあたかも1人の人間かのように動かせるのは、兵が自然とそのように動けるようにしているからである。
95)九地編/機密で進める
將軍之事、靜以幽、正以治、能愚士卒之耳目、使之無知、易其事、革其謀、使人無識、易其居、迂其途、使人不得慮
将軍の事は、静かにして以て幽(ふか)く、正にして以て治まる。
能く士卒の耳目を愚にして、これをして知ること無からしむ。
其の事を易(か)え、其の謀を革(あらた)め、人をして識ること無からしむ。
其の居を易(か)え、其の途を迂にし、人をして慮ること得ざらしむ。
将の仕事というのは、表面上は平静を装いつつも誰にも知られないよう奥深いところで行われ、厳正に進められていくからこそ、軍がうまく治まるのである。
兵に知られないようにし、将がこれから何をしようとしているか読めないようにする。
軍の計画を変更し、謀を改めることで、兵に将の意図が分からないようにする。
軍の駐屯所も変え、軍の進軍行路もわざと迂回したりして、兵に軍がどこに進むか分からないようにする。
96)九地編/将が知っておくべきこと
帥與之期、如登高而去其梯、帥與之深入諸侯之地、而發其機、焚舟破釜、若驅羣羊、驅而往、驅而來、莫知所之、聚三軍之衆、投之於險、此謂將軍之事也、九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察
帥(ひき)いてこれと期すれば、高きに登りて其の梯を去るが如く、帥(ひき)いてこれと深く諸侯の地に入りて、其の機を発し、舟を焚(や)き釜を破り、群羊を駆るが若く、駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知る莫し。
三軍の衆を聚(あつ)めて、これを険に投ずるは、此れ将軍の事と謂うなり。
九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからざる。
軍を率いていざ戦いのときが来たならば、決死の覚悟となるよう、高い場所に登らせておいてからそのはしごを外してしまうようにしなければならない。
軍を率いて敵の領土内に深く侵入し、戦いを始めるときには、今まで乗ってきた舟を焼き払い、食事に使っていた釜を打ち壊し、退くに退けないような状況にし、あたかも羊の群れを追いやるように兵を動かすのである。一方で、兵のほうは、どこに向かっているかは分かっていないようにするのである。
このようにして全軍の兵を集め、決死の覚悟を持たざるを得ない状況に投入することが、将としての仕事なのである。
9つの地勢に応じた変化、状況に応じた進撃・退却に利害、それらによって起こる人の心理の変化の道理などについて、将はよく知っておかなければならない。