AIに任せられる仕事の範囲がこの1年で一気に広がりました。そうなると、「では人間には何が残るのか」という問いが生まれます。残るのは能力の高さではなく、能力の種類のほうだ、という考え方があります。
池田朋弘『Claude 最強のAI自動化術』(芸術新聞社)を参考にして。

AIに勝てない領域は、認めてしまったほうが早い
「人」としての能力、「人間」としての能力
私たちの能力を2つに分けて考えると整理しやすくなるとされています。
「人」としての能力
論理的な思考力、言語の理解、パターンの認識、知識の記憶。
学校であれば試験で測られる類のもので、いわゆるIQで評価される領域です。
「人間」としての能力
「人」の「間」と書くとおり、人と人のあいだに立つ存在としての力を指します。
協力する力、価値判断と意味づけ、信頼を得る力、相手に安心感を与える力。
いずれも、関係性の中でしか発揮されないものです。
実行の速さで競っても分が悪い
前者、つまり「人」としての能力については、いまや人がAIに勝てる要素が見当たりません。
文章を組み立てる、資料を要約する、条件を整理して比較する。
この手の作業は、速さにおいても正確さにおいても人間の側に分がないと感じています。
大切なことは、勝てない領域を認めたうえで、勝ち負けの土俵にない領域に目を向けることであると思われます。
AIの話題で不安を感じるとき、その正体は、「人」としての能力で比べられている感覚ではないか。
知識の量、処理の速さ、間違いの少なさ。
確かに、この物差しで並べられると分が悪いです。
ただ、そもそも物差しが1本しかないという前提のほうを疑ってよいと思われます。
「人間」としての能力に関しては、AIが同じ土俵に上がってこない領域なのです。
ここは比較の対象ですらなく、勝ち負けの話になりません。
勝ち負けの土俵にない「3つの思い」
「人間」としての能力、いわゆる「人間力」は、抽象的なままであると扱いにくいものです。
これを3つの「思い」に分解すると、自分に足りないものが見えやすくなるとされています。
人への思い
「人と人との関係性」をつくる力。
第一印象、傾聴、安心感の演出。長期にわたる信頼の蓄積。
相手を一人の人間として大事に思う気持ちがなければ、関係は深まりません。
「あの人に頼みたい」は、流暢さからは生まれない
人への思いは、「能力」というより「姿勢」に近いものと考えられます。
AIがどれだけ流暢に受け答えをしたとしても、”あの人と話したい”・”あの人に頼みたい”と思われる存在にはなりにくいものです。
逆に言えば、「相手を一人の人間として大事に思う気持ち」がなければ、こちらもそうは思ってもらえません。
実際、お客様との関係においても、数字を正確に出すことと、相談してもらえることとは別物だと感じています。
正確さはこれからAIが担っていくと考えられます。
正確さ以外において、それでも相談の相手に選ばれるかどうかはまた別の話として残ります。
仕事への思い
熱意、やる気として表れる力。
誰かに言われたから動くのではなく、自分は何をやりたいのか・何を変えたいのかを自分の言葉で持っていること。
社会への思い
倫理的な判断力。
論理では最適解が定まらない問いに対し、”自分はこれでいく”と腹を括り、その結果に責任を引き受ける力。

AIは指示されなければ動かない
3つの中でも、仕事への思いと社会への思いは、AIとの違いがはっきり出る部分です。
AIは、指示されない限り、自分から動き出すということがありません。
自分の仕事に「意味」を見出して前のめりに動けるのは、その仕事に関心と誇りを持つ人だけです。
そして、社会への思いのほうは、責任の話へと直結します。
AIは選択肢を整理してくれるものの、最後に決めるのは人間です。
私自身、会計税務でAIを使う際も、「説明責任を果たせるかどうか」という観点で、必ず人の目を入れる箇所を決めています。
誤りを見抜き、修正し、アウトプットの責任を引き受ける。
この、思考ではなく理解と決断の部分だけは、外注のしようがないものだと考えています。
3つの思いは「本気の本番」でしか育たない説
本番とは、練習ではないということ
では、この3つの思いはどうすれば育つのか。
書籍によると、「本気の本番」を重ねるしかない、と結論づけています。
本番とは、練習ではないという意味。
営業であれば、社内のロールプレイングではなく実際のお客様との商談。
電話対応であれば、研修ではなくクレームの最中の受け答え。
人への思いというものは、生身の人間とぶつかってこそ初めて鍛えられます。
また、仕事への思いは、自分の判断が結果に直結する場面でしか試されません。
また、社会への思いは、責任を背負う立場に立ってこそ磨かれます。
同じ業務を何度も繰り返してミスなくこなせるようになっても、それが本番でなければ、この3つは伸びないといえるのです。
そして、この整理が使えるのは、自分の仕事の中で何が本番にあたるかを言葉にできたときです。
経営者であれば、社内会議よりも、金融機関との面談や取引条件の交渉のほうが本番に近いはずです。
本番の定義がずれていると、忙しさの中身がいくら増えても、3つの思いは育たないままになりかねないのです。
AIは本番の回数を増やす道具になる
ここで、AIの役割は変わってきます。
AIは、人間力そのものを与えてはくれませんが、本番に挑む回数を増やす道具としては、かなり強力ではあります。
1日2件しか商談できなかった人が、提案資料の準備と事前調査を短縮できれば、4件に増やせる。
20分かかっていた事後メモの記入が自動化されれば、その分だけ多くの本番に向き合える。
準備で消耗していた時間が、本番の時間に置き換わるわけです。
私の事務所でも、資料の整理や仕訳の下ごしらえをAIに寄せたことで、経営者と数字の話をする時間を取りやすくなってきました。
作業が減ったこと自体より、本番に回せる時間が増えたことのほうが効用が大きいと感じます。
逆に、浮いた時間をそのまま別の作業で埋めてしまうと、忙しさは変わらないままに本番の回数だけが増えないということにもなります。

そう考えると、AIで浮いた時間をどう使うかが、そのまま数年後の差になってくると考えられます。
浮いた時間を、より深い関係構築、より重い意思決定、より独自性のある思考に振り向けられるかどうか。
職種を変える必要はなく、今の仕事の中で、AIに渡せる作業をどんどん渡し、空いた時間をどこに投資するかを意識的に選ぶ。
AIに勝てない領域が広がるほど、”勝ち負けの土俵にない領域”の値打ちが上がっていくのだと考えられます。
