話し手が何に困っているかを表面的にだけ把握して、誤った解決策を提案することになってしまいます。
和仁達也著「コンサルタントの対話術」(かんき出版)を読んで学んだこと、キャッシュフローコーチとして感じたこと。
課題が本質的でないと、解決策も本質から外れてしまう
物事を解決するために、どれだけ知識を積み研鑽しても、その解決すべき課題の特定を誤ってしまうと、結果、誤った解決策の提示になってしまいます。
話し手が持っていた”モヤモヤした困った感覚”というものは結局残ったままとなり、ボタンのかけ違えが起こってしまいます。
課題が本質的でない場合がある理由
話し手が最初に「困っている」と言語化したものが、本当に困っていることの本質かどうかをまずは一緒に考えていくことから始めていく必要があります。
なぜそれをする必要があるか。
話し手は、”困っている感覚”のなかで悩みつつ、なんとか解決したく、それを外部に相談・表現すべく、その”困っている感覚”の言語化をする必要に迫られます。
しかし、自分で簡単に言語化できるようなレベルのものであれば、比較的簡単に解決できていたかもしれません。あるいは、外部に頼らずとも自己解決できていたかもしれません。
モヤモヤのなかでなんとか紡ぎ出した言葉というものは、問題の氷山の一角に過ぎない場合というものが十分にあり得ます。
えてして、本当に困っているときというのは、「何が分からないのか分からない」場合が多いものです。
つまり、解決策を考える前に、相手が抱える氷山の全体像や中心・本質をまずは一緒に考えるという姿勢が必要なのだと思われます。
氷山の全体像や中心を掴んでから、解決策を考える。
一度立ち止まる
相手が困っていることの手助けをしたいと思えば思うほど、早く解決をサポートしたい気持ちになります。
それは、あるいは、”解決をサポートして喜ばれたい”と思う自分の欲求との闘いともいえるかもしれません。
自分の欲求を満たすために解決をサポートするわけではなく、相手のお困りごとの解決のためにサポートするというのが原点のはずです。
なので、解決のためには、話し手の話を聞き、質問をし、対話を重ねながら、まずは、話し手の「何が分からないのか分からない」状態を解消する必要があります。
氷山の全体像や中心が掴めてくると、当初の課題とは異なるところに課題があったりする場合もあります。
解決策を考えるにはまずはそこから。
一度、立ち止まる。心がけているくらいがちょうどよいのだと思います。
豪雨について
今回の記事とは別に、先日からの豪雨により、九州や中国地方を中心に、大きな被害をもたらしています。
私自身、長崎市に住んでいますが、少し高めの土地に住んでいることもあり、幸い被害はありません。
ただ、実家は佐賀県武雄市朝日町にあり、よく被害状況をテレビ中継される場所に近いところにあります。
今のところ実家はほんの少しなだらかな高さの場所にあるため、今のところは床上浸水を逃れ、軒下に水が入った程度で済んでいるのですが、まだまだ予断を許しません。
少しでも早く雨がやむことを祈るばかりです。