人間、あれこれ文句を言いながら安定を保っている

「忙しくてできない」は言い訳であることが多いものですが、人間、そのようなこと言いながら自分の心の安定を保っている面があるもので、一方的に悪と決めつけるのもよくない気がします。

河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。

目次

言い訳

「忙しいからできない」

「あれがなかったらできるのに」

「これさえあればうまくいくのに」

「自分ならもっとうまくやれるのに」

誰しも、そんな風にぶつぶつと文句を言うときがあるものです。

多くの場合、言い訳ですし、前向きな物言いでもないですし、一見、特にこれといって発展性のない言葉・思考のように思えます。

しかしながら、例えば、「忙しいからできない」という人が、忙しくなくなったからといって、今より努力してできるようになるかというと、多くの場合、そういうものでもありません。

免罪符がなくなっては困るので、別の忙しくなる理由を見つけて、やはりまた「忙しいからできない」と言うでしょう(少なくとも僕はそうなると思います。)。

安定を保っている側面

人間誰しも、いつも強く前向きに生きられるわけでもありません。人生のなかであれもこれもできるわけでもありません。

そう考えると、あれこれとぶつぶつ文句を言いながら、ぼちぼち日々を生きることで、バランスを取って精神衛生の安定を保っているともいえます。

逆に、文句も言わず黙ってひたむきな努力ばかりしていると、どこかでバランスを失ってしまって、そのアンバランスさが内側に溜まっていって、やがて爆発してしまったりします。

河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)で紹介されていたのですが、心理学者アドラーは、ノイローゼだという人が相談に来ると、「ノイローゼが治ったら何がしたいか?」と問いかけ、例えば「ノイローゼさえ治ったら仕事に打ち込みたい」と答えると、「仕事に打ち込むことを避けるためにノイローゼになっているのでありませんか?」と問いかけたそうです。

とても示唆的です。

自分を客観視し、許しつつ進みつつの方が楽しく生きられる

といっても、無自覚に文句ばかり言っていてもしょうがないですし、あれこれ文句を言うのは上記のような効用(精神的な安定を保っている側面)があるものだと自覚していると、自分の日頃の文句もなんとなくどういうものなのかが分かりますし、他人の文句に大きく腹を立てて目くじらを立てることもなく、相手の精神安定のためか、などと感じつつ、うまい具合に聞き流しながら、支え合って生きていける気がします。



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