蘇洵「管仲論」の言葉で、国といえども、それを担う一人の人間によって、興りもし滅びもする、という意味です。
作間信司「一倉定の社長学」(プレジデント社)を参考として。
大組織といえども盛衰は”1人の人間”にかかっている
「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ」
一国の興亡はその国を担う人物によって左右される、という意味です。
中国の蘇洵は、名宰相といわれた管仲を評した著書「管仲論」のなかでそのように述べています。
※これには続きがあり、賢者たるものそれを知っていながら後継者を作れなかった管仲を批判しています。
(賢者は其の身の死を悲しまず、而して其の国の衰を憂ふ。故に必ず復た賢者有りて 而る後に以て死す可し。彼の管仲なる者、何を以て死すや。)
国のように多くの人が集まっていても、一人の人間によって、その国は栄えもし、衰えもします。
それほど、一人の人間には影響力があり、良い意味でも悪い意味でも大きな可能性を秘めているということなのだろうと思います。
まして、会社組織ではなおのこと、経営者次第で大きく変わるものです。
「ヒト」「モノ」「カネ」は経営者の生き写し=社風
会社のなかにある「ヒト」「モノ」「カネ」は、経営者の生き写しであるともいえます。
経営者が評価する人が幹部となり、その幹部がまた社員を評価するので、自然と「ヒト」は経営者に似た人が集まることになります。
経営者がよいと思う商品・設備を揃えるので、「モノ」も経営者の色合いを色濃く帯びたものとなります。
「カネ」そのものに色はありませんが、その使い道には、経営者の経営判断の軌跡を反映するので、その累積である貸借対照表には経営者の性格や考え方というものが、明確に出ます。
”経営者の生き写し”というとピンと来ないかもしれませんが、それがいわゆる「社風」といわれるものです。
社内批判は自分批判になってしまう
会社自体が経営者の生き写しとなるので、例えば、”社員が動いてくれない”といった自分と切り離して社内を評する言葉は、結果として自分自身を批判することになってしまいます。
経営者自身が変わり続け、精進し続けることによって、おのずとそこに集まる「ヒト」「モノ」「カネ」の中身は変わってくるということなのだと思います。