仕事でもプライベートでも、「100点満点が要求されるとき」もあれば、「60点でよいとき」もあります。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
まんべんなく80点
仕事においても、私生活においても、常に努力を怠らず、いつでも平均点を超えるような”まんべんなく80点”を取り続けるようなあり方もあります。
しかし、えてしてそういった場合、いつも努力しているにもかかわらず、”損した”と感じるときもあるものです。
僕自身、割とそんな風だったような気がします。
試験などで、すべてにおいてよい点数を取ろうと頑張り、全体において頑張って点数を上げることができても、疲労のわりには成果を感じることができず、一方で、華々しい成果を上げる人を羨ましく(恨めしく)思った経験があります。
100点満点でなければならないとき
しかし、何事も、”すべてにおいて平坦”ということはないものです。
試験などにおいても、重要性の高いところ(外してはいけないところ)もあれば、重要性の低いところ(平均程度にできていればよいところ)もあるのです。
それは試験などでなくとも、事業においても、家族との関係などにおいても、そういった「ここぞ」があるものです。
この「ここぞ」というところは、”平均点を超えて80点”では決してだめなのです。
90点でもだめで、自分の精一杯の”100点満点でなければならない”のです。
試験などは点数なので例えとしてあるいは分かりやすいのかもしれません。
しかし、事業や、あるいは私生活においては、点数で表されるものではありません。
点数では表されないけれども、「ここぞ」という状況は確かに存在しており、そこでは「100点満点でなければならない」ものです。
それは、突然やってくる場合もあります。
”突然問いかけられる”と換言してもいいかもしれません。
あるいは、前もって分かっている場合もあります。
分かっている場合は、それに向けて、しっかりとコンディションを整えていく計画性や準備が必要とされるでしょう。
これには、その「ここぞ」がどこなのかを認識し、摑まえる力が必要とされるものです。
普段、自分が何を大切に思っているか、何を理想としているか、何が重要であるか、をいかに真剣に捉え、考え、より具体的に心のなかに持っていること。
そして、それを外さない・守る「覚悟」を持っていること、が最も必要とされる気がします。
いつでも100点、では無理が来る
「いつでも100点」でないと気が済まない・気が落ち着かない、という人もいます。
しかし、常に100点を取ろうと思っている人は、他人に対して常に勝っていなければという緊張感がぎこちなさとなり、体に不必要に力が入ってしまっていたり、他人や全体を見渡してそれをうまく許容する心の余裕がなかったり、ときに防御的であったり攻撃的であったりすることもあります。
また、その不自然さから、本当に100点が必要とされるときに限って、体調を崩したり、戦い方や臨み方が十分でなかったりもするものです。
「100点満点」を取るべきときは、人生においてそう多いものではないものです。