相手の真実を突くということは劇薬で、人間関係を円滑にするためのうそは常備薬。あるいはうそでも本当でもない表現方法というものもあります。
河合隼雄「こころの処方箋」(新潮社)を読んで学んだこと。
「うそは常備薬 真実は劇薬」
「うそは常備薬 真実は劇薬」というのは、河合隼雄さんの「こころの処方箋」(新潮社)のなかのエッセイタイトルの1つです。
とてもいい得て妙だと感じました。
真実は劇薬
真実というものは、例えば、相手の”欠点”のような、相手に言ってはいけない・言うと人間関係が壊れるような一面があります。
そのような意味では、劇薬なのですから、必要ながらも、使うタイミングはごくごく慎重であるべきでしょう。
うそは常備薬
人間関係を円滑にするために、人間、適度にうそを上手に交えているものです。
場の雰囲気を大事にし、その場をうまく丸く収めるためにも、うそもときには必要なものです。
行き過ぎたうそは中毒
うそも、常備薬程度にたまに使うのであればよいのですが、これが行き過ぎてしまうと、中毒になってしまいます。
お世辞が見えすいたものとなり、言葉に信用がなくなり、人間関係を円滑にするつもりが逆に周囲を不愉快にしてしまいます。
そのような意味でも、いつもうそをつくというのは決してよくないものです。
うそでも本当でもない表現方法
一方、「うそでも本当でもない表現方法」といえるものもありえます。
真実でありながらも、相手を傷つけない視点からの意見・感想を述べるというものです。
多くある表現のなかから、あえてそのような表現を選ぶところに一種のうそっぽさはありつつも、真実ではあるものなので完全なるうそというものでもありません。
周囲が社交辞令を交わし合っている状況において、見えすいたお世辞で自分を貶めることなく、かつ、自分はうそは嫌いだとそっぽを向いて場の空気を悪くしたり、不用意に真実を述べてその場の雰囲気を壊したりすることもなく、よくよく相手のことを観察して、本当でもうそでもなくその場にそぐう表現を考え出すことができると最もよいのかもしれません。
自分の言葉の”処方箋”を意識する
真実が絶対正義で、うそが絶対悪、などといったことは、現実問題ありえないものです。
何がその場にそぐうもので何がその場にそぐわないものであるかということは、その場の雰囲気が生き物のように変わってゆくものであるがゆえに、しっかりと観察して見極め、最もその場に合った言葉を選ぶことができることこそがよりよい状態なのだろうと思います。
この場では、薬が要らないのか、常備薬を処方するのか、劇薬を処方するのか、自分の言葉に対する”処方箋”を意識しながら過ごしていきたいものです。