何でもない道でも、自分にとっては大事な道だったりします。
27年ぶりに歩いてみた
今日、27年ぶりに歩いてみた道があります。
27年ぶりなので、前回通ったのは高校1年のとき、ということになります。
高校1年のとき、入学した高校の抑圧的な校風がとても嫌でたまらず、不登校になった時期があります。
そのときは、どうやったら辞められるかということばかり考えていました。
でも、大学には行きたいという気持ちがあり、では大検(現:高卒認定試験)を受けるか、と考えました。
佐賀には大検予備校がなかったので、遠方の叔父の家に半ば無理矢理泊まらせてもらい、大検予備校を見に行ったのでした。
(叔父は反対しましたが)自分のなかでは、無理矢理にでも叔父の家に住み込ませてもらって、叔父の家から大検予備校までどのようなルートで通学すればよいかと、幾日も幾日も具体的に歩いてみた「道」があります。
叔父の家は最寄り駅まで遠く、歩いて30分ほどあります。
その区間を、歩いてみたり、自転車に乗ってみたり。
おそらく期間としては数日だったのでしょうけれど、自分のなかでは、1ヶ月ほど毎日その30分の道を歩いたり引き返したりしたような強烈な感覚が残っています。
それはきっと、自分の心のなかの迷いだったような気がします。
人生の迷いそのものが、その30分の徒歩に込められていて、結構きつく感じながら、答えが出ないと分かっていながら、ゴールはないと分かっていながら、毎日、迷いながら、幾度も幾度も往復したのだと思います。
結果的には岐路だった
結果として、「自分は高校に行きたいのではなく大学に行きたいのであって、高校はその過程に過ぎない。わざわざルートを変えるほうが不自然で、高卒の資格なんてなんとなく取ってしまえばいい。」と結論づけて、高校に戻ることにしたのでした。
迷いながら過ごした叔父の家で、偶然見つけたのが”簿記のテキスト”でした。
叔父は経理の仕事をしていたので、何気なく置いてあったのでした。
なんとなく(普通高に通う)自分が知らない学問の分野に、興味を抱いたのがきっかけでした。
企業の活動を、帳簿という側面から見るということ。
それまで社会との接点をどのように持てばよいか、将来どのように社会を知り、関わっていけばよいか分からずにいたなか、”簿記”や”会計”という切り口から社会(=人の集まり・営み)を知るということ。
高校に戻ってから、簿記という切り口から社会のことを知りたくなって、興味のない授業(保健体育であったり家庭科であったり)のときは簿記検定の勉強を始めたのでした。
なんとなく通っていた予備校にも、大学のために必要という目的意識が持て、高校の宿題はサボりつつ欠かさず予備校には通っていて、そのなかの講師の1人が元公認会計士受験生ということもあり、休憩時間に簿記の分からないことを頼み込んで教えてもらったり、資格を取りたいからと商業高校に通う中学の同級生に頼み込んで簿記検定を受けさせてもらったり。
もともと経理や会計に無縁だった家庭環境・学習環境のなかからスタートし、今、税理士としての仕事をしているそのルーツ・火種は、と言われれば、間違いなく、叔父の家で偶然見かけた簿記のテキストだったといえます。
何でもない道でも、自分にとっては大事な道
他人からすれば、なんでもない道です。ことさら景色がきれいというわけでもないです。
でも、あのとき、抱えきれないほどの将来への不安を抱えながら、16歳という何も持たない自分が、”学校”という当時大体の同い年の人がなんとなく安全に群れて受け入れていた枠を取っ払って垣間見た社会という膨大な海のなかで、溺れかけながらも必死に泳ぐように歩いたその道は、とても重要な道であったと感じます。
振り返れば、誰しもきっと、今から逆算してみると起点になっているであろう地点があるのではないかと思います。
時間を変えてまたその地点に行ってみると、色々な気づきがあるものです。