「AIで確定申告ができる時代がきた」
SNSやニュースで、こんな言葉を目にする機会が増えました。
レシートを写すだけで勘定科目を提案してくれる、クレジットカード明細を読み込んで自動で仕訳をしてくれる。
ひと昔前と比べると、AIの進歩は驚くほどです。
とはいえ、AIが今できているのは、確定申告という大きな仕事のうち、ほんの入り口部分にすぎません。そしてもう1つ、見落とせない問題として、仮にAIが完璧な答えを出したとして、その答えが本当に正しいかどうか、使う側に知識がないと検証できないという問題も生じます。
「AIで確定申告ができる時代」の本当の意味と、それでも知識を持ち続けることが大事な理由を整理してみます。
AIが今できていることと、できていないこと
レシートと勘定科目の自動仕訳というレベル
話題になっているAI確定申告の多くは、レシートやクレジットカード明細を読み込ませ、「これは事業用ですか、プライベートですか」「この支出は消耗品費でしょうか、それとも雑費でしょうか」といった提案をしてくれるものです。
これは、たしかに便利な機能。
帳簿付けが苦手な事業者にとって、入り口のハードルを下げてくれることは間違いありません。
ただ、これは確定申告という仕事全体のなかで、せいぜい3割ほどの作業量でしかありません。
言い換えると、残りの7割は、また別の世界の話ということになります。
決済手段が増えた瞬間、難しさが跳ね上がる
事業を始めたばかりで、決済手段が現金とクレジットカード1枚だけ、というシンプルな状態であれば、AIによる仕訳支援はかなり強力に働きます。
とはいえ、実際の経営はそんなにシンプルではありません。
複数の銀行口座、複数のクレジットカード、電子マネー、QRコード決済、振込、現金。
さらに、固定資産や在庫、借入金、前払金・前受金、未払金・未収入金などが絡み始めると、状況は複雑になってきます。
例えば、「この支払いは経費ですか」と聞かれたとき、それがクレジットカードで決済されているのか、口座振替なのか、現金で立替えたのかによって、帳簿上の処理は違ってきます。
さらに、その支払いが今期の経費なのか、来期の経費なのか、という時期判断も入ります。

「正しそうに見える答え」の落とし穴
ここで一番怖いのは、AIが「もっともらしい間違い」を返してくることです。
AIは、自信がないときでも、それなりに整った文章で答えを返してきます。
使う側に判断力がなければ、「AIが言っているから正しいだろう」と、間違った仕訳をそのまま採用してしまうことになります。
これは、現在あらゆるAI活用において繰り返し指摘されている本質的な課題です。
「複式簿記」という、よくできた仕組み
PLの裏側に必ずBSがある
確定申告で使われている「複式簿記」という仕組みは、本当によくできています。
複式簿記とは、すべての取引を「お金がどこから来て、どこへ行ったか」という2つの側面から記録するルールのことです。
売上を計上すると、同時に「売掛金」や「現金」というかたちで資産が動く。
経費を計上すると、同時に「未払金」や「預金の減少」というかたちで資産・負債が動く。
つまり、損益計算書(PL、もうけの記録)の動きは、必ず貸借対照表(BS、財産の記録)の動きと連動しているのです。

数字がつながっているから、ズレに気づける
この仕組みのすごいところは、PLとBSが連動していることで、どこかでミスが起きれば必ずどこかの数字が合わなくなる、という「自己検証機能を持っている」ところです。
預金残高が帳簿と合わない、売掛金の残高がおかしい、借入金の元本がズレている。
こうしたズレが、複式簿記という仕組みのなかで「発見できる」設計になっています。
これは、何百年も前から続いている会計の知恵だと言えます。
シンプルなようでいて実は驚くほど精緻なよくできた仕組みなのです。
仕組みを知らずに使うと、ズレが見抜けない
ここで問題になるのが、AIに任せた帳簿が「ズレているかどうか」を、使う側が見抜けるかどうかです。
複式簿記の仕組みを知らない人がAIが作った帳簿を眺めても、「合っているのか、ズレているのか」の判別がつきません。
PLしか見ていない人は、BSの異常に気づきません。
BSを見たことがない人は、そもそも何を見れば検算できるのかが分かりません。
AIが優秀になればなるほど、「使う側が検算できないまま、もっともらしい数字を信じる」というリスクは、むしろ大きくなっていく可能性があります。
AIを使いこなすために、使う側に必要なもの
知識があるからこそ、いい問いを立てられる
AIにいい答えを出してもらうためには、使う側が「いい問い」を立てる必要があります。
「この支払いは経費にできますか」というざっくりした問いと、「個人事業の青色申告で、自宅兼事務所の家賃のうち、事業使用割合40%相当を経費計上したい場合、按分根拠としてどのような記録を残すべきですか」という問いでは、AIから返ってくる答えの質がまるで違ってきます。
知識がある人は、必要な前提条件を整理した上で、的確に問えます。
知識がない人は、そもそも何を問えばいいのかが分かりません。
知識があるからこそ、出力の正しさを検証できる
AIが返してきた答えを、そのまま信じていいかどうかを判断するのも、使う側の知識です。
会計や税務の世界では、「だいたい合っている」では済まない場面がたくさんあります。
税法は毎年改正され、特例があり、要件があり、判例があります。
AIがそれらを正確に反映しているかどうかを検証できるのは、結局のところ、知識を持った人間だけです。
全体を俯瞰できる視点を、手放さない
会計は、PLという1つの視点だけを見るのではなく、BSという別の視点からも全体を眺めることで、数字の意味がはじめて立体的に見えてきます。
AIは、その坂を駆け上がるのを助けてくれる便利な乗り物です。
ただし、どこへ向かえばいいのかを決めるのは、結局のところ、地図を読める人間だけなのかもしれません。
AIが進化していく時代だからこそ、経営者にとっての「数字を読む力」は、これまで以上に価値を持っているのです。

