長期的な課題や悩みごとは、話しながらでないと、解決の糸口は掴めないものです。
かといって、当然、独り言では解決できません。壁に向かって話しても解決できません。
”聴いてくれる人”がいて初めて、話すことができ、話して言語化していくことによって、解決の糸口を掴むことができます。
大事な存在としての良き”聴き手”が必要で、この性質は今後も変わることがないと感じています。
河合隼雄「カウンセリング入門」(創元社)を読んで15年で学んだこと。
課題や悩みに対する思いを吐き出すときに
長期的な課題や悩みごとに対して何か思ったことがあり、その思いを吐き出したいと思ったとき、不思議なもので、独り言では解決できませんし、壁に向かって吐き出しても解決できません。
それを“聴いてくれる人”を常に必要とし、聴き手との対話によってのみ、解決の糸口を見つけることができるように思います。
例えば、愚痴レベルにしても、独り言ではスッキリしません。人に聴いてもらってはじめてスッキリします。
自身がなかなか超えられない壁を、なんとか自分の力で乗り越えていくには、常に聴き手が必要とされているといえると思います。
良き聴き手として、押しつけないことが大事
物事には幾通りもの答えがあり、どれも解決策としてありうるものです。
どの答えが最適かということは、一概に分かるものではないため、聴き手のバイアスはできるだけ排除することが望ましいと考えられます。
聴き手の経験や考えや気持ちに偏ってしまい、安易な答えを押し付けたり、一方的に提供することに関しては、慎重を期した方がよく、それは、その時点で、聴き手が話し手にポジションチェンジしているに他ならず、あまり効果がなかったりするものです(もしくは当たり外れが大きすぎる。)。
聴き手としては慎重に、あくまで話し手が言葉に出して話して言語化することによって、話し手自身が自身を客観的に捉え、話し手自身で考えをまとめて、解決に向けて歩いていけるように手助けをする、そこに手を添える、といった姿勢が必要ではないかと思います。
言葉を尽くすと客観的に見ることができるようになる
聴き手が話の着地・決着を図らずに聴くことを続けていくということは、話し手の話がただ深まっていくことになります。
深まっていくということは、話し手自身にとっては辛いものであったりもします。
課題の解決にあたっては、あまり自分では触れたくない部分にも触れなくてはいけないからです。
(ゆえに長期化してしまっている、ともいえます。)
それでも少しずつ、物事は前に進んでいくものですし、その人・その会社なりの独創的な発展に繋がっていきます。
その手助けをしていくということは、ただ解決策の提示という華々しいものの前に、「聴く」という重要な姿勢を十分に学んでいくことが大事、と思っています。