話に共感するということは、話し手の実体験をそのまま体験することとは異なります。
「芝居は皮と肉の間にある」とは、近松門左衛門の「虚実皮膜論」のなかの話で、芸というものは事実と虚構の間のちょうど皮と肉の境目のような絶妙なところにあるものだ、という話です。
「共感する」とは、話し手のことを理解しようとするものであり、話し手の実体験そのものではない、ということを指すものです。
東山紘久著「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社) を読んで実践して以来15年、学んだこと。
目次
話を聞くときに最も必要なのは「共感性」
聞くときに重要な要素として、「共感性」が挙げられます。
共感的でないと、話し手はそもそも話す気になれません。
とはいえ、聞いているフリでは相手にばれますし、うそくさいリアクションもしらけさせてしまいます。
一方、突き放しても冷たい印象を与えます。
この「共感性」、実は、皮と肉の境目のような絶妙なところにあるのです。
とって代わることができるようなものでもない
話し手の体験の主体ではありません。
そのことをまず自覚した上で、それに準ずる立場で理解しようと努めるのが「共感」。
かといって、それはあなたが考えることでしょ、と開き直すのも違う。
この準ずる立場で、というのが重要で、そうでなければ、聞き手の現実が分からなくなってしまいます。
聞き手としての距離感を保つこともまた重要です。
心の交流が大事であって、その人になりきる必要はない
「共感」とは、話し手との心の交流のことをいうもので、それが大事なのであって、その人になりきって抱え込むことは出来ないことが自然な状態。
自分と他人との区別をつけながら、という状況が自然ですし、聞き手は聞き手で、自身の現実から離れる必要はないのです。