先行きを決めなければならないと考えると肩に力も入りますが、”仮設でもよい”と考えると気が楽になります。
森岡毅著「苦しかったときの話をしようか」(ダイヤモンド社)を参考にして。
先のことは分からない
先のことは分かりません。
「将来、こうなりたい!」と明確な答えを持ち、かつ初志貫徹することはとてもかっこいいのですが、実際問題として、そのようになることは少ないかもしれません。
ただ、先のことは分からないし、初志貫徹できるかっこいい答えを持てないからといって、何らも考えないことがいいかというと、実に迷うところです。
仮設でもあった方がよい2つの理由
森岡毅著「苦しかったときの話をしようか」(ダイヤモンド社)で、森岡さんは、”仮設でもあった方がよい”と述べられていて、納得するところがありました。
目標を掲げても道行きで変わるかもしれなくとも、”仮設でもあった方がよい”2つの理由として、以下が挙げられていました。
納得性
行き当たりばったりで生きるよりも、何かしら目標を持って生きている方が、自分の人生に対する納得に繋がる、というものです。
確かに、受け身で生きるか、主体性を持って生きるかは、大きな違いです。
受け身で生きてうまくいかないことがあった場合、自分にどこまで引き寄せて考えられるかどうか。
一方、主体性を持って生きてうまくいかないことがあった場合、自分に引き寄せて考えることができ、成長することができそうです。
一貫性
たとえ途中で目標が変わったとしても、当初に目標を持っていれば、その過程で随分と悩み考えると思います。
変わったとしても、自分のなかで納得のいく道筋のなかで決断するはずで、一貫性を持つことができます。
物語ることができることが自信に繋がる
自分の進む道筋を物語ることができることで、自分の自信に繋がります。
何も決めずに受け身で他責で生きるよりも、たとえ途中で目標が変わったとしても、当初から仮設でもよいので目標を持っていた方が、主体性を持って自責で物事を考えることができ、その「納得性」と「一貫性」のなかで充実して生きることができるといえそうです。