”寄る辺がない”がきっかけだった

今思うと、高校時代の不登校時期に悩み苦しんだことが原点だった気がしています。

目次

組織のなかにいると”なんとなく”でも生きられる

組織のなかにいると、”なんとなく”であっても困らなかったりします。

※でもきっと組織のなかにいる方はいる方で一生懸命だと思いますし、それを否定するものでは決してありません。

所属する組織の乗換えがそつなくこなせれば、特に自分の個としての存在そのものを掘り下げて考える機会もなかったのかもしれません。

”寄る辺がない”ときに、組織に頼らない生き方を考えた

納得しないと前に進めない

自分の厄介な性格として、”納得しないと前に進めない”ということがあります。

その当時の自分とその環境にどうしても納得することができなくて、高校1年のときに4ヶ月ほど不登校だった時期があります。

それまでの自分は、なんとなく小学校に行き、なんとなく中学校に行き、なんとなく高校に行っていた気がします。

しかし、いざ入った高校に行く自分の存在そのものに納得のいかなさを感じて、行きたくなくなってしまい、高校を辞めたいと思った時期がありました。

追い込まれてやっと自分の人生を必死に考えた

その時期に、将来自分が就きたい職業などのことを最も必死に考えた気がします。

”職業を、憧れや夢ではなく、切羽詰まって必死に考えた”という感じです。

そのときに考えたこと、今では細かく覚えていないのですが、ともかくも”なりたい職業の分野に就くには、少なくとも大学に行くことが必要”という結論を下したことは強く覚えています。

高校を辞めて大学に行くには、大検(高卒認定試験)を受験する必要があります。

不登校になって苦しみつつ考え抜いた末に、「大検の予備校に通う」ということを真剣に考えましたし、具体的に学校を探し、そこまでの通学ルートなども丹念に調べていました。

ただ、より考えを進めていくうちに、どのみち大学へ行くのならば、普通高校から進学することが最も近道(=高校は、大学へ行くための道具)と思うようになりました。

捉え方を変えた

かなり当たり前ともいえる結論なのですが、自分のなかでは発想の転換ともいえるものでした。

高校そのものに行くのではなく、”大学に行くためのプロセスとして”高校に行くのだ、という感覚。

当初は、通っていた高校で感じていた”校風や指導方法に対するいかんともし難い違和感・ストレス”が、自分にとっての問題のすべてのように感じていました。

しかし、自分にとっての高校とは「大学へ行くための道具なのだ」と割り切って考えることができるようになると、”その高校の(自分にとっては)押し付けがましい指導方針・価値観”こそは、利用する手段の単なる副産物に過ぎないのだから単に距離を置けばよいのだ、と割り切って考えることができるようになりました。

望まない人からの”模範”でなくてもいい

その高校の校風には最期まで馴染むことができませんでしたし、指導方針にも一切馴染むことはできず(せず)、先生からはたびたび怒られ、”わが校の模範生徒とは”を語られるたびに、「非暴力・非服従」という形で距離を取り続けました。

また、大学へ行くためには、(自分にとっては)必要がないと感じる授業中には、普通校では求められていない簿記検定の受験勉強をして先生を困らせたり、諦められたりもしました。あくまで高校は出欠を取るために顔出ししているという感覚で、出欠確認がゆるく、かつ、校風のアクが出やすい体育祭や文化祭はサボり、通っていた進学塾での“進学するための”最先端の勉強が自分の当時の興味のすべてでした。その道を守るためなら、(自分にとっては)押しつけがましい学校や教師という存在はあくまで邪魔でしかなく、かといって利用価値がある限りは決定的に反抗すべきものでもなく、ただただいなしておけばよい存在でした。

”自分の道は自分で作る”感覚

切羽詰まって考えたこと

今思えば、高校という組織に”なんとなく”所属しているという感覚を持つことができず、いざ不登校となった”寄る辺がない”時期に、自分の進みたい道を、切羽詰まった状態から必死に考える機会を持てた、ともいえる気がしています。

納得のいかないもの・馴染めないものがあったら、たとえそれが(学校やその先生のような)大人や年長者の言うことであったとしても、自分の進みたい道を守るために・自分の希望を勝ち取るためには、無理せずに、その場からまずはいったん逃げて、距離を置くこと。

相手が年長者という立ち位置から無理に押しつけてこようとすることが、“自分にとって”本当に必要かどうかを必死に考え抜くこと。

自分にとって“手段として”必要だと感じるのならば、”目的のために利用してやる”くらいの厚かましさ・図々しさを持つこと。

組織に使われるのではなく、組織は利用するものだ、と割り切ること。

納得して前に進む(編み出す)

高校へのスタンスとして邪道かもしれませんし、組織の目上の人からは可愛げもなく映り、評価もされませんが、後悔しない自分の道がその組織のなかにないのだとしたら、邪魔なものとはひたすら距離を取り、自分で道を守り・作るしかありません。

内部の評価を気にするのではなく、自分自身として、社会に対してどのように貢献していきたいかを見つめて、目標を見定めること。

切羽詰まらない危機のない環境のなかで考えることができるほど賢くもなく、器用さも持ち合わせていませんでした。ただただ追い詰められて、切羽詰まって、必死に考えた挙げ句、独自に編み出した道の作り方ですが、今では、自分としては納得のいく・後悔のない・誰のせいにもしない道を歩めている気がしています。

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