相づちに、「テクニック」はあるのか。
いくつかの「型」はあるものの、心を込めて相手を理解しようと試みるときの一期一会のバリエーションです。
「話させるテクニック」などはない、と思います。
東山紘久著「プロカウンセラーの聞く技術」(創元社) を読んで実践して以来15年、学んだことシリーズです。
相づちの「型」
ひとことで相づちといっても種類があります。
「はい」「えぇ」「へぇ」「ほうほう」「なるほど」「そうそう」「ふーむ」「うそぉ」「まじか」「わかる」など。
あるいは、「~なんですね」など、相手の言ったことを繰り返すということもありますね。
書籍にも書いてあるのですが、上記のうち、「うそぉ」は世代にもよるでしょう。
また、「わかる」という言葉は、相手が深刻な場合で安易に使うと不審(本当に分かっているのか、分かってたまるか、など)を買うこともありますね。
実際、僕もそのように実感します。
正解や正攻法はない
「えぇ」「へぇ」「ほうほう」「そうそう」「ふーむ」など、いずれの相づちもそうですが、声のトーンや語尾を上げるか下げるかによっても色合いがまったく違ってきます。
その後の話を、深い方に話してもらって理解したいと思うのか(垂直)、より別の浅い方に展開してもらって理解したいと思うのか(水平)、によっても違ってくるので、ひとことで「相づち」といっても千変万化・多種多様です。
「ふーむ」なども分かりやすいですね。
相手の言葉に非常に納得しているのか、やや否定的(そうではないと思うけどね、といった)なニュアンスを含むのか、は、声のトーンやイントネーションでまったく形が変わってきます。
「なるほど」は、難しい言葉ですね。
この言葉は、相手が親身かそうでないかが非常に分かりやすいと思います。
僕は、少しでも相手の「なるほどですねー」に胡散臭さを感じると、身構えますし(大体の人はそうだと思います。)、
無理してるんだろうなぁ、と相手の立場や心境を考えてしまいます。
「~なんですね」と、相手の言葉をおうむ返しする型は、とても難しい。
聞き手側で「型」としてこれがあることが不思議に感じることもあるかもしれませんが、
話し手側で抱えきれないような悩み事を抱えてそれを吐露する場面で、聞き手がおうむ返しで言葉を返してくれると、”自分の苦しさを理解してもらえた”、と実際に聞き手側ではほっとすると思います。
これは話し手側になると非常によく分かります。
肩の荷が下りたようなすっとした気持ちになります。
しかしながら、これは相手の話を、相手の立場に立って集中してよく聞いていなければできません。
相手の使った言葉をそのまま使わなければ、相手は自分が伝えたいことと違った風に伝わっている、と感じることもあるかもしれません。
また、繰り返して使ったその言葉が、相手の話の中核にないものであれば、非常にピンボケした相づちになってしまいます。
相手の話を、相手の立場に立って、よく聞いて、その話の要点をしっかり掴んで、その言葉を返すことになると思います。
そうでなければ、”あなたを理解しています、肯定しています”という意思表示にはなりません。
基準は、相手を肯定して理解しようとする気持ち
相手のことを理解するために、相手の立場に立ち、自分の心を媒介としながら、感情に共感し、相手を理解した上で、その状況に応じた相づちを打っていく。
相づちを打つということは、一定の型はあれども、テクニックなどはなく、相手を肯定して理解しようと思うとおのずとこのような相づちになる、といった類のものであると思います。
集中力を欠いて気を抜けば、それはやはり相手に分かりやすく伝わってしまうものなのです。
自ずとそれぞれの聞き手のキャラクターに合った相づちにもなってくるでしょう。
むしろ多様であることが自然ともいえます。
まさに、Art(熟練・わざ・専門技術)だと感じます。
職人技、ですね。
※数年前の自宅のオリーブの木。引っ越しで環境が変わり、残念ながら今では枯れてしまいましたが、枝ぶりが素敵なので好きな写真の一つです。