お客様から選ばれるためには、お客様を選ぶ必要があります。
神田昌典著「不変のマーケティング」(フォレスト出版)を参考として。
誰にでも好かれようとすると、誰からも好かれない
”誰にでも好かれようとすると、誰からも好かれない”
人間関係においては、割とすんなり理解のできることではあります。
事業においても、人の趣向が重なり合うものであるという性質上、同様のことがいえると考えられます。
誰にでも好かれる商品・会社であろうとすればするほど、誰の目にも止まらず、心にも刺さらないという現象が起きることになります。
つまり、「お客様から選ばれるためには、お客様を選ぶ」必要があるという感覚が必要になるということです。
お金と商品との”等価交換”
お客様から好かれようとすると、ともすると卑屈になり、媚びやへつらいという要素が入ってくることになります。
それが許容の範囲内であればよいものの、通常の人対人の関係において、”擬似親子関係”でもない限りは、どちらか一方が卑屈で媚びへつらうような関係性は長続きすることもなく、結局どこかで破綻するということになります。
”お客様は神様です”という言葉が有名で、そのことが刷り込みのように機能している昨今、なぜか、”本来「お金」と「商品」との価値は同等で、それを交換しながら世の中は動いている”ということを忘れがちです。
つまり、「お金」と「商品」とは価値の同じものを交換しているのであり、本来は、どちらかがどちらかに卑屈になるようなことはないものです。
お客様の存在を認め、興味を持ち、知ろうとし、役に立とうとすること
では、お客様とどのような関係性を築くべきなのか。
お金と商品とを等価交換しているので、”上下ではなく、対等”という状態が自然であると考えられます。
お客様に対して卑屈になる必要性もなければ、逆に、自社がお客様に対して傲慢であるということもまた不自然な状態です。
では、何をもって”対等”であるのか。
これもまた通常の人間関係(友人関係、パートナー関係)で考えてみるとイメージしやすいものです。
相手の存在を認めること。
相手に興味を持ち、知ろうとすること。
相手の役に立とうとすること。
であると考えられます。